ご祭神は、瀬織津比淘ク(瀬織津媛)。 646年(大化2年)宇治川に宇治橋が架けられた時、南都元興寺の僧道登が勅許を得て、橋の守護神として、上流の櫻谷に祀られていた瀬織津比を宇治橋中ほどにある張出部分に祀ったのが始まりとされる。その後はその張出部分を三の間(三ノ間)と呼ぶ。
のちに宇治橋西詰に移され、住吉神社とともに奉祀される。明治維新までは宇治橋が架け換えられる毎に神殿が造営されていたが、1870年(明治3年)洪水で社地が流出し現在の場所に移った。 また、源氏物語「宇治十帖」ゆかりの古跡になっている。
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