酬恩庵一休寺のご朱印
ご朱印

京都の神社・仏閣
酬恩庵(しゅうおんあん)一休寺
【酬恩庵一休寺のサイトへ】

住所/〒610-0341 京田辺市薪里ノ内102
TEL/0774−62−0193
アクセス
★電車/近鉄京都線「新田辺」駅から徒歩約25分、タクシーで約5分
     JR学研都市線「京田辺」駅から徒歩約15分
     京阪バス「一休寺」か「一休ヶ丘」下車徒歩約5分
★車/第二京阪道「八幡東」ICより約15分
      または「枚方学研」ICより約15分
    京奈和自動車道「田辺西」ICより約5分
駐車場/50台(300円)
拝観料/500円
拝観時間/9:00〜17:00(宝物殿9:30〜16:30)

総門
総門
庫裡内の虎衝立
庫裡内の虎衝立

臨済宗大徳寺派。山号は霊瑞山()。本尊は釈迦如来。
元の名は妙勝寺という。鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明(なんぽじょうみょう))が中国の虚堂(きどう)和尚に禅を学び、帰朝後、禅の道場をここに建てたのが始まり。()

宗純王廟
宗純王廟
開山堂
開山堂

その後、元弘の乱(鎌倉幕府倒幕運動)の戦火のまま復興ならずにいたものを一休禅師が1455〜6年に再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵(しゅうおんあん)」と命名した。
一休禅師は81歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通い、1481年に88歳で当寺で示寂、遺骨は当所に葬られた。このように一休禅師が晩年をここで過ごしたことより「一休寺」で知られるようになった。()

宗純王廟
宗純王廟
陵墓制札
陵墓制札

(上)御廟所(墓所) 1475年、一休禅師82歳の時、自ら建立したもので、廟前庭は虎丘庭園と同じく村田珠光作の室町時代の枯山水庭園である。禅師は人皇百代後小松天皇の皇子であるので御廟所は宮内庁の管轄である。()

中門
中門
庫裡
庫裡

方丈(重要文化財) 加賀城主前田利常が大坂の陣の時、木津川に陣をしき当寺に参詣したおり、寺の荒廃を嘆き1650年に再建した。内部襖絵は江戸時代初期の画家狩野探幽斎守信の筆である。
中央には一休禅師木像(重要文化財)が安置されている。この木像は禅師逝去の年(88歳)、高弟墨済禅師に命じて等身の像を作らしめ、頭髪と鬚は自らのものを植え付けられたものである。()

庫裡
庫裡
一休禅師木像
一休禅師木像
方丈襖絵
方丈襖絵

方丈東庭
方丈東庭
方丈北庭
方丈北庭

(上・右下)方丈庭園(名勝指定) 方丈周囲の庭園で作者は松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山三氏合作といわれ、北庭は枯滝落水の様子を表現した蓬莱庭園、東庭は十六羅漢の遊戯をなぞらえたもの、南庭はサツキの刈り込みと白砂の庭とした北、東、南、三面の庭よりなる江戸時代初期の禅院枯山水庭園である。()

一休像
一休像
方丈南庭
方丈南庭

本堂
本堂
本堂
本堂

(上)本堂(重要文化財) 足利六代将軍義教の帰依により建立されたもので、入母屋造り檜皮葺、内部には釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩を祀っている。()

鐘楼
鐘楼
少年一休像
少年一休像
一休像
一休像