知恩寺の御朱印
法然上人二十五霊場 御朱印

法然上人二十五霊場

京都の神社・仏閣
知恩寺
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住所/〒606-8225 京都市左京区田中門前町103
TEL/075−781−9171
アクセス
★電車/JR「京都」駅、地下鉄烏丸線「今出川」駅、阪急京都線「河原町」駅から
        市バス「百万遍」下車 徒歩3分
     京阪京都線「出町柳」駅下車 徒歩約10分
★車/名神「京都東」ICより約20分
    名神「京都南」ICより約30分
駐車場/30台(100円/20分)
拝観料/無料  境内自由

総門
総門
御影堂(大殿)
御影堂(大殿)

長徳山(ちょうとくざん)功徳院(くどくいん)百萬遍(ひゃくまんべん)知恩寺(ちおんじ)と号し、宗祖法然上人を開山と仰ぎ、勢観房源智(せいかんぼうげんち)上人を第二世とする浄土宗大本山の一つである。法然上人二十五霊場第22番札所。
法然上人は1175年3月、43歳の時に浄土宗を開いた。上人は賀茂の神宮寺である功徳院(くどくいん)に寄寓した。当時は、賀茂のかわら屋・今出川釈迦堂・賀茂禅坊などと称された。1212年1月25日上人入滅後、源智上人が、師の恩徳を偲び「恩を知る」寺として知恩寺を建立した。()

釈迦堂
釈迦堂
阿弥陀堂
阿弥陀堂

もとは今出川烏丸付近にあったが、足利義満の相国寺建立にあたり移転を命ぜられ、その後堀川中立売付近に移り、豊臣秀吉の命により御所の東側広小路に移った。
1661年、御所内よりの出火で類焼したが、第39世萬霊(ばんれい)上人により現在の地に再興された。法然上人を安置する御影堂は、1661年より7年を経て完工した。その後も萬霊(ばんれい)上人は江戸に下り金五百両を得て、また諸国を行脚して、延宝年間に及んでほぼ現在に近い諸堂宇を完備した。()

鐘楼
鐘楼
勢至堂
勢至堂

納骨堂
納骨堂
御影堂提灯
御影堂提灯

百萬遍という号は後醍醐天皇から賜ったもの。1331年8月京都で大地震が起き大きな被害がでた。悪病も流行り、多数の死者がでた。天皇は深く心配し、諸寺社に勅を下して祈祷をせしめたが収まらず、当時民衆の帰依もあつい知恩寺第八世空圓(くうえん)上人に悪疫退散の祈願を修行するよう勅命を下した。空圓(くうえん)上人は詔を奉じ参内し、宮中秘蔵の弘法大師御筆利劔名號(りけんみょうごう)軸を掲げて、七日七夜を期して阿弥陀佛の御名を称えること百萬遍におよんだ。またその祈願の護符をひろく人々に授けて、門戸に貼り付けることをすすめた。その功力により悪疫止み、天皇は御感のあまり「百萬遍」の勅号と利劔名號(りけんみょうごう)軸及び五百四十顆の大念珠を下賜された。以来、諸祈願の法会等にはこの利劔名號(りけんみょうごう)軸を掲げて、僧俗が輪になり念仏を称えながら大念珠を繰る「百萬遍念珠繰り」が修されるようになり、数珠繰りの「ひゃくまんべんさん」と呼ばれ親しまれている。()

西門
西門
西門石柱
西門石柱



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