京都の神社・仏閣
眞名井(まない)神社
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住所/〒629-2242 京都府宮津市字大垣小字諸岡86
TEL/0772−27−0006(問い合わせは(この)神社へ)
アクセス/(この)神社より徒歩約10分
(この)神社へは
★電車/京都丹後鉄道「天橋立」駅より、丹海バスで「天橋立元伊勢籠神社」下車すぐ
     または天橋立観光船「天橋立桟橋」乗船口より「一の宮駅」下船 徒歩約2分
     または天橋立を徒歩約45分
★車/宮津与謝道路「与謝天橋立」ICより約15分
駐車場/約150台(終日700円、1時間まで無料)

石柱門
石柱門
霊地石碑
霊地石碑

(この)神社の奥宮で、別称、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)比沼真名井(ひぬまない)・外宮元宮・元伊勢大元宮とも呼ばれる。古くは匏宮(よさのみや)吉佐宮(よさのみや)与謝宮(よさのみや)久志濱宮(くしはまのみや)とも呼ばれていた。
御祭神は、豊受大神(とようけのおおかみ)を主祭神として、天照大神(あまてらすのおおかみ)伊射奈岐大神(いざなぎおおかみ)伊射奈美大神(いざなみおおかみ)罔象女命(みづはのめのみこと)彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)神代五代神(かみよいつつよのかみ)を祀る。
豊受大神(とようけのおおかみ)は別名を天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)国常立尊(くにとこたちのみこと)御饌津神(みけつかみ)ともいう。()

二の鳥居
二の鳥居
社殿
社殿

神代の時代から天照大神(あまてらすのおおかみ)の孫神であり、邇邇芸命(ににぎのみこと)の兄神である(この)神社海部家の始祖彦火明命(ひこほあかりのみこと)豊受大神(とようけのおおかみ)を祀っていた。その後、崇神天皇39年(紀元前59年)豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)倭国(やまとのくに)笠縫邑(かさぬいのむら)から天照大神(あまてらすのおおかみ)を遷し、天照大神(あまてらすのおおかみ)豊受大神(とようけのおおかみ)吉佐宮(よさのみや)という宮号で四年間祀った。
その後、天照大神(あまてらすのおおかみ)は第11代垂仁天皇の御代に、また豊受大神(とようけのおおかみ)は第21代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢に遷した。()

真名井の御神水
真名井の御神水
水神社
水神社

眞名井神社は飛鳥時代の初め頃まで吉佐宮(よさのみや)与謝宮(よさのみや))と呼ばれていたが、その後海部家26代目当主の海部直(あまべのあたえ)伍百道祝(いほじはふり)が宮号を「籠宮」と改め、眞名井神社境内地であった真名井川の川辺に一旦遷宮し、その後奈良時代719年に、27代目当主海部直(あまべのあたえ)愛志(えし)が、現在の(この)神社の地へと遷宮し、それを契機に主祭神を(この)神社海部家の祖神である彦火明命(ひこほあかりのみこと)とし、相殿に豊受大神(とようけのおおかみ)天照大神(あまてらすのおおかみ)海神(わたつみのかみ)天水分神(あめのみくまりのかみ)を併せ祀り(この)神社を創建した。()

一の鳥居
一の鳥居
波せき地蔵堂
波せき地蔵堂

そして遷宮した後の吉佐宮(よさのみや)においても祭祀は続けられ、眞名井神社と呼ばれた。
本殿の裏手には、古代からの祭祀場である磐座が三カ所ある。磐座とは神の降臨場所あるいは神の鎮座場所のことで、神を祀るための神聖な石や岩のことをいう。()



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