神代の時代から天照大神の孫神であり、邇邇芸命の兄神である籠神社海部家の始祖彦火明命が豊受大神を祀っていた。その後、崇神天皇39年(紀元前59年)豊鋤入姫命が倭国笠縫邑から天照大神を遷し、天照大神と豊受大神を吉佐宮という宮号で四年間祀った。
その後、天照大神は第11代垂仁天皇の御代に、また豊受大神は第21代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢に遷した。(これゆえ元伊勢といわれる。) 吉佐宮は、その後海部家26代目当主の海部直伍百道祝が宮号を「籠宮」と改め、真名井川の川辺に一旦遷宮し、その後奈良時代719年に、27代目当主海部直愛志が、現在地へと遷宮し、それを契機に主祭神を海部家の祖神である彦火明命とし、相殿に豊受大神・天照大神・海神・天水分神を併せ祀り籠神社を創建した。
本殿正面には伊勢神宮と籠神社にしか祀ることが許されていない五色の座玉がある。
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