城興寺の御朱印
洛陽三十三所 御朱印

洛陽三十三所

京都の神社・仏閣
城興寺
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住所/〒601-8016 京都市南区東九条烏丸町7-1
TEL/075−691−3614
アクセス
★電車/JR・近鉄「京都」駅から地下鉄烏丸線「九条」駅下車すぐ
       あるいは市バス「大石橋」バス停下車 徒歩約2分
     またはJR・近鉄「京都」駅八条口より徒歩約5分
★車/名神「京都南」ICから約10分
駐車場/なし
拝観料/無料
拝観時間/9:00〜16:30

山門
山門
本堂
本堂

真言宗泉涌寺(せんにゅうじ)派。山号は瑞宝山。成興寺ともいう。洛陽三十三所観音霊場第22番札所。
もとは太政大臣藤原信長の邸宅であったが、知足(ちそく)院関白藤原忠実(ただざね)が伝領して、1113年に寺に改めたといわれる。創建当初は、寺宝の境内伽藍図によると、現在の烏丸町全域にわたっていた様が描かれている。当初は、四宗(顕・密・禅・律)兼学の道場であったが、のちに天台宗となり、天台座主最雲法親王の没後、その弟子の以仁王(もちひとおう)が当寺を領した。その後、1179年平氏によって寺領を奪われ、このことが平氏討伐の挙兵の一因になったと考えられる。中世を通じて延暦寺の管理に属したが、応仁の乱後、衰微し、現在は円仁(えんにん)の作と伝えられる本尊千手観音像を安置する本堂のみが残っている。()

薬院社
薬院社

(上)薬院社 もとの名を施薬院稲荷という。平安時代にここから西北200mの地に施薬院が、北100mに施薬院御倉(みくら)があった。
施薬院とは奈良時代、聖武天皇と光明皇后が創始した医療と施薬の役所で、今日の病院と福祉施設を合わせた施設である。平安初期に左大臣藤原冬嗣が私財を投じて施薬院を開設し、以来摂関家藤原氏の支援を受け運営されていた。しかし鎌倉初期にはこれらの施設は他の所へ移り、御倉(みくら)跡には施薬院稲荷の(ほこら)が残り、以来地元の鎮守さまとして崇められた。明治になって廃仏毀釈に続く辻堂廃止令により施薬院稲荷も廃止されるところであったが、地元の熱意により城興寺の陀枳尼天(だきにてん)堂に合祀された。()



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