八坂神社の御朱印帳と御朱印
御朱印帳

御朱印帳
祇園社 御朱印

祇園社
祇園御霊会 御朱印

祇園御霊会
(祇園祭のシーズンのみ)
美御前社 御朱印

美御前社(うつくしごぜんしゃ)
悪王子社 御朱印

悪王子社(あくおうじしゃ)

京都の神社・仏閣
八坂神社
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住所/〒605-0073 京都市東山区祇園町北側625
TEL/075−561−6155
アクセス
★電車/JR京都線「京都」駅から市バス「祇園」下車すぐ
     京阪「祇園四条」駅より徒歩で約5分
     阪急「河原町」駅より徒歩で約8分
★車/名神「京都東」IC、「京都南」ICより約15〜20分
駐車場/有料駐車場有
拝観料/無料  境内自由

西楼門
西楼門
西楼門 狛犬
西楼門 狛犬

神仏霊場京都36番。
「八坂さん」や「祇園さん」と呼ばれ、地元の人たちにも親しまれている。
夏の盛りに行われる「祇園祭」や元旦の「をけらまいり」など、数多い祭礼でも知られている。
四条通に面する朱塗りの西楼門や、祇園造という独特の構造の本殿などは国の重要文化財に指定されている。()

石鳥居
石鳥居
南楼門
南楼門

八坂神社は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)八柱 御子神(やはしらのみこがみ)を祀っている。素戔嗚尊(すさのおのみこと)は日本神話でも知られるように、八岐大蛇(やまたのおろち)(=あらゆる災厄)を退治し、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を救って、地上に幸いをもたらした神さまである。()

本殿
本殿
社務所(神札・お守り授与所)
社務所(神札・お守り授与所)

舞殿
舞殿
三基の神輿
三基の神輿

歴史は、社伝によれば平安建都の約150年前の斉明天皇2年(656年)と伝えられ、高句麗(こうくり)より来朝した調進副使の伊利之使主(いりしおみ)素戔嗚尊(すさのおのみこと)を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、八坂造(やさかのみやつこ)の姓を賜ったのに始まる。明治元年までは「祇園社」と称していたので、現在でも祇園さんの名で親しまれている。()

美御前社
美御前社
美容水
美容水

(上)美御前社(うつくしごぜんしゃ) 八坂神社の末社。御祭神は市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)多岐理比売命(たぎりひめのみこと)多岐津比売命(たぎつひめのみこと)。その名の通り美を象徴する神として祭られている。素戔嗚尊(すさのおのみこと)天照大神(あまてらすおおかみ)と誓約したとき、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が持っていた十拳剣を振りすすいで生まれた三柱の女神で、宗像三女神といい、俗に弁天さんといわれるのもこの市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)である。古くから祇園の芸妓さん舞妓さんをはじめ美しくなりたい願望の女性はもとより、美容理容・化粧品業者の崇敬を集めている。()

忠盛燈籠
忠盛燈籠
稲荷社
稲荷社

(左上)忠盛燈籠(ただもりとうろう) 永久年間の頃(12世紀)白河法皇が祇園女御のもとに赴こうとしてこのあたりを通ったとき、折しも五月雨の降る夜で前方に鬼のようなものが見えた。法王は供の平忠盛に討ち取ることを命じたが、忠盛はその正体を見定めた上と生け捕りにしたところ、油壺と松明を持ち燈籠に燈明を奉ろうとしていた祇園の社僧であった。雨を防ぐためにかぶっていた蓑が灯の光を受け銀の針のように見えたのであった。忠盛の思慮深さは人々の感嘆するところであったという。この燈籠はその時のものといわれている。()

大国主神社
大国主神社
大国主命と白うさぎの石像
大国主命と白うさぎの石像

蛭子神社
蛭子神社
えびす像
えびす像

(下)悪王子社(あくおうじしゃ) 八坂神社の境内摂社。御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)荒御魂(あらみたま)。悪王子の「悪」とは「強力」の意味で、荒御魂は現実に姿を顕す霊験あらたかな神の意味を示す。
もとは974年、東洞院通(ひがしのとういんどおり)四条下る西側に建立された。
古事記や日本書記に記されているように出雲の国、肥河(ひのかわ)の川上で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した素戔嗚尊(すさのおのみこと)の勇猛心と困難に立ち向かう王子様を尊敬し悪王子の称号を贈り、その若きときの勇猛心をもつ御魂を荒御魂として祀ったのが始まり。
そしてこの神社も祇園祭の行列の無事を祈願する神様に変わっていき、東洞院四条の辻にて四方に斎竹を立て注連縄(しめなわ)を曳き渡し神供式を行った後、この辻より巡業の列を作ったと祇園会起源に書かれている。()

悪王子社(八坂神社境内)
悪王子社(八坂神社境内)
悪王子社(元悪王子町)
悪王子社(元悪王子町)

その後、豊臣秀吉の命により神社は烏丸五条に移転し、もとの地を元悪王子町、移転地を悪王子町と呼ばれるようになった。また明治の神仏習合の廃止により悪王子神社は1877年(明治10年)現在の八坂神社の境内に鎮座することになった。しかし、本来の地に神社があることが望まれ、富士銀行(現みずほ銀行)と東京建物の協力のもと、1998年(平成10年)4月元悪王子町に祠が造られ、分霊が祀られた。()

大神宮社
大神宮社
大神宮社拝所神額
大神宮社拝所神額

(上と左下)大神宮社 皇室の祖先神であり八坂神社ご祭神素戔嗚尊(すさのおのみこと)の姉神にあたる天照大御神(あまてらすおおみかみ)(内宮)と衣食住をはじめとした産業の守護神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)(外宮)を祀る。()

外宮・内宮
外宮・内宮
白鬚神社・太田神社
白鬚神社・太田神社

厳島社
厳島社
五社
五社

(左上)厳島社(いつくしましゃ) 御祭神は市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)素戔嗚尊(すさのおのみこと)が持つ剣から産まれた三女神(美御前社(うつくしごぜんしゃ)祭神)のうちの一神。()

刃物神社
刃物神社
日吉社
日吉社

(左上)刃物神社 刃物発祥の地として、祖先の遺業を偲び、伝統を受け継ぎ、京刃物の真髄を後世に伝えるとともに業界の振興と啓蒙を目的として奉建された。()

疫神社
疫神社
大政所御旅所
大政所御旅所

(左上)(えき)神社 ご祭神は蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)
むかし祖神(おやがみ)が諸国を巡って日暮れに宿を請うたところ、巨旦将来(こたんしょうらい)は富み栄えていたのに貸さず、蘇民将来(そみんしょうらい)は貧しかったけれども粟殻で座を敷いて粟の粥で手厚くもてなしたので、「われはハヤスサノオの神なり」といい、後年疫病が流行しても茅の輪をつけて「蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫なり」といえば災厄から免れると約束され、巨旦将来(こたんしょうらい)の子孫は皆途絶えてしまったが、蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫は今に栄えているという。
(右上)大政所御旅所
下京区大政所町。地下鉄烏丸線「四条」駅下車 徒歩3分。
八坂神社のかつての御旅所で神輿の渡御があった。三基の神輿のうち、大政所(素戔嗚尊(すさのおのみこと))神輿と八王子(八柱 御子神(やはしらのみこがみ))神輿の二基が安置されていた。現在は小祀が建っているのみ。
残る少将井(櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと))神輿は中京区の烏丸竹屋町の御旅所の渡御していたが、1591年に豊臣秀吉により、四条寺町の現在の御旅所に統合された。()

円山公園のしだれ桜 円山公園のしだれ桜




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