805年桓武天皇の勅命によって伝教大師(最澄)を開基として創建されたと伝えられる。当初は天台宗であったが、室町時代初期に国阿上人が中興してから時宗に改められた。本尊に准胝観音像を祀り、洛陽三十三所第7番札所でもある。
一条天皇の時代(986〜1011)に巨勢広高という絵師が地獄変相の壁画を描いたことが今昔物語にみえており、1185年安徳天皇の生母、建礼門院が僧印誓について剃髪されたところでもある。また法然上人の弟子隆寛がここに住み念仏を広めた。当時はこれを長楽寺流と呼ぶほどに世間に知れ渡っていた。昔は祇園や清水と並んで花の名所と謳われ、多くの文人や画家が訪れたところである。
寺宝には、一遍上人像を含む七人の上人像(全て重要文化財)や建礼門院御遺宝、相阿弥作と伝わる庭園がある。
|