西巌殿寺の御朱印
九州西国霊場 御朱印

九州西国霊場
奥之院 御朱印

奥之院
奥之院 御朱印

奥之院
九州四十九院薬師霊場 御朱印

九州四十九院薬師霊場

熊本の神社・仏閣
西巌殿寺(さいがんでんじ)
【西巌殿寺のサイトへ】

住所/〒869-2225 熊本県阿蘇市黒川1114
TEL/0967−34−0928
アクセス
★電車/JR豊肥本線「阿蘇」駅下車 徒歩約10分
★車/九州自動車道「熊本」ICより約60分
駐車場/約30台(無料)
拝観料/無料  境内自由

山門
山門
本堂
本堂

天台宗。山号は阿蘇山。本尊は十一面観世音菩薩。
九州西国霊場第13番札所、九州四十九院薬師霊場第30番札所。
726年に天竺から来朝した最栄読師が、阿蘇山に登り火口の阿蘇明神に対面しながら十一面観音を自ら刻んで安置したことに始まるという。寺号の由来は、火口の西の洞窟(巌殿)に本尊を安置したので、人々はそこを西の巌殿の寺と呼び崇めたからである。()

学頭坊跡
学頭坊跡
正門
正門

平安時代後期の最盛期には36坊52庵が建ち、英彦山・宇佐・国東と並ぶ九州山岳宗教の一大拠点へと発展した。ここで言う「坊」とは僧侶自身と彼らの居住する坊舎をいい、これらが集まった場所であることから「坊中」という地名が生まれた。江戸時代には、山上の本堂跡界隈を「古坊中」、現在の本堂界隈を「麓坊中」と呼び分けるようになった。
天正年間(1573〜92)には、豊後の大友氏と薩摩の島津氏の確執が激しくなり、その争いの余波が阿蘇山一帯にも及んだ。阿蘇神社の大宮司であり阿蘇地方を治める戦国武将でもあった阿蘇氏は、大友氏の支配下に入っていたことから島津軍の攻撃に遭い、西巌殿寺のある古坊中も阿蘇氏の庇護下にあったことから、山上の寺院群がすべて焼き払われたと伝えられる。()

参道石段
参道石段
本堂跡
本堂跡

足手荒神堂
足手荒神堂
足手荒神堂
足手荒神堂

そして1601年、肥後の統治を託された加藤清正は本堂を修復し、36坊を麓の黒川村に移築し再興した。細川家入国後もその志が引き継がれ、代々崇敬を維持されたが、明治維新に至り、学頭坊跡に西巌殿寺一寺を残し、他の庵は還俗するとともに廃寺となった。
1871年(明治4年)山上本堂が麓に移されたが、現在の山上阿蘇神社の地が山上本堂の跡地である。1890年(明治23年)、古跡復古の運動が起こり、有志一同により御堂が建立され阿蘇山本堂西巌殿寺奥之院として再建された。()

鏡石
鏡石
奥之院
奥之院
阿蘇山・奥之院・山上神社
阿蘇山・奥之院・山上神社



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