湊川神社のご朱印
ご朱印 大楠公御墓所 ご朱印

大楠公御墓所

兵庫の神社・仏閣
湊川神社(みなとがわじんじゃ)
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住所/〒650-0015 神戸市中央区多聞通3丁目1-1
TEL/078−371−0001
アクセス
★電車/神戸高速「高速神戸」駅下車山側すぐ
      地下鉄山手線「大倉山」駅より徒歩約5分
      JR「神戸」駅より徒歩約7分
★車/阪神高速神戸線「京橋」ランプあるいは「柳原」ランプより約10分
駐車場/無料(約20台)
拝観料/無料(宝物殿/300円)
拝観時間/自由(宝物殿/9:30〜16:30)

社号標と表門
社号標と表門
境内鳥居
境内鳥居

楠公(なんこう)さん」と呼ばれ、楠木(くすのき)正成(まさしげ)公(大楠公(だいなんこう))を祀る。また楠木正行(まさつら)(小楠公)及び湊川の戦で殉節した楠木正季(まさすえ)以下一族十六柱並びに菊池武吉を配祀する。
神仏霊場兵庫5番。()

社殿
社殿
祈祷殿と菊水天満神社
祈祷殿と菊水天満神社

(左上)社殿 現在の社殿は、戦災によって焼失したものを、1952年(昭和27年)10月24日に復興新築されたもので、様式は権現造りに似ているが、鉄筋コンクリート造で建てられている。()

殉節地
殉節地
御墓所
御墓所

楠木(くすのき)正成(まさしげ)は1294年大阪の河内国金剛山の麓、赤坂村で生まれ、幼名を「多聞」と言った。学問は観心寺の僧滝覚坊(りゅうかくぼう)について学び、兵法を大江(毛利)時親(ときちか)に師事して修め、文武両道すぐれた武将となった。その頃は、北条氏が鎌倉で国の政治を行っていたが、その政治は大変乱れていた。大楠公は1331年9月に後醍醐天皇の命を受け、鎌倉倒幕の兵を挙げ、執権北条氏と戦い、鎌倉幕府を崩壊に導き、「建武中興(けんむちゅうこう)」に大きな功績を立てた。しかしまもなくして足利尊氏が背き、一度は九州へ敗走したが再び勢力を盛り返して京都に攻め上ってきた。大楠公は子・正行(まさつら)(小楠公)に後事を託して桜井の駅(現在の大阪府島本町)で別れ、兵庫湊川(現在の神戸市内)で足利軍を迎撃、敵は数万、味方は七百余騎で、激戦の末、1336年5月25日、遂に「七生滅賊(しちしょうめつぞく)」を誓って、弟・正季(まさすえ)以下一族の人々と共に、殉節を遂げた。()

徳川光圀公銅像
徳川光圀公銅像
墓碑
墓碑

以来、地元の人々は、この大楠公を慕い、御墓所を守ってきた。豊臣秀吉検地の際に免租地とされ、1692年には水戸光國により大楠公墓碑「嗚呼(ああ)忠臣(ちゅうしん)楠子(なんし)之墓(のはか)」が建立された。そして1868年(明治元年)4月明治天皇は、大楠公の忠義を後世に伝えるため、神社創祀の御沙汰書を下した。よって翌年、御墓所(ごぼしょ)御殉節地(ごじゅんせつち)を含む7232坪(現在は7666坪)を境内地と定められ、1872年5月24日社名を「湊川神社」とし、初めての別格官幣社に列せられ、同日鎮座祭、翌日楠公祭が斎行されて、湊川神社が創建された。()

楠本稲荷神社
楠本稲荷神社
楠本稲荷神社
楠本稲荷神社



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