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住所/〒660-0867 兵庫県尼崎市開明町3-13 |
山門 |
本堂 |
法華宗本門流大本山。法華宗四大本山の一つ。 |
鐘楼 |
三光堂 |
日隆聖人は1415年に京都で本応寺(後の本能寺)を創立して法華宗再興の道場としたが、この行為を怨んだ妙顕寺側は1418年に本応寺を破却、日隆聖人に刺客を送った。聖人は一時難を避けるために河内三井村(寝屋川市)を経て、尼崎辰巳の浜に着き、米屋次郎五郎の邸に止宿し、街頭に布教を展開、時に管領細川満元の婦人が懐妊したことから、満元は男子誕生を願い、旅僧日隆聖人に祈願を依頼した。祈願は成就し無事男子が誕生した。満元は日隆聖人の希望である精舎建立のため、大物若宮八幡の境内を寄進、本興寺の創立に至った。本興寺の名称は「本門八品再興教寺」から生まれた寺号である。 |
祖師堂 |
三重宝塔霊廟壇 |
(左上)祖師堂 宗祖日蓮大聖人の御尊像を祀る。1822年に焼失、1852年に再建された。
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数珠丸(絵葉書より) |
伏見宮日承王御墓・笠塔婆 |
(左上)数珠丸 国指定重要文化財。日蓮大聖人御所持の太刀。大聖人身延ご入山の折、篤信者身延の領主波木井実長より献ぜられたものと伝わる。大聖人が柄に数珠を掛けて、破邪顕正の大利剣としたところから数珠丸の号が付けられたという。しかし人を殺す剣と人心を救済する念具、即ち生死の二法を踏まえた深い意味をもって命名されたのが数珠丸の由来と考えるのが正しいといわれる。1919年(大正8年)宮内庁出入りの鑑定家杉原祥造氏が、国外に流出せんとする数珠丸を買い留め、1922年(大正11年)に当寺へ寄進されたもの。 |
開山堂(絵葉書より) |
開山堂青龍之図(絵葉書より) |
(上)開山堂 1466年の建立。重要文化財。 |
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方丈 |
方丈内部障壁画(絵葉書より) |