住所/〒802-0025 北九州市小倉北区寿山町6-7TEL/093−541−2270 アクセス★電車/JR鹿児島本線「小倉」駅より車で約13分 あるいは西鉄バス「広寿山」バス停下車 徒歩約3分 ★車/北九州都市高速「足立」ランプまたは「富野」ランプから約5分 駐車場/約50台(無料)拝観料/無料
黄檗宗。山号は広寿山(こうじゅざん)。本尊は釈迦牟尼仏。九州四十九院薬師霊場第6番札所。 1665年、小倉小笠原の初代藩主小笠原忠真(ただざね)が菩提寺として創建し、中国僧の即非如一(そくひにょいち)(即非は隠元(いんげん)の高弟)が開山した黄檗宗の名刹。()
1679年、二代藩主忠雄(ただたか)が寺地を改め諸堂を造営した。1669年以降、寺領は300石であったが、1716年さらに100石が加増された。1866年、長州との戦いで諸堂の大半を消失したが、中国風の建築様式を伝える仏殿(通称本堂、1802年に再建)をはじめ不二門(ふじもん)、鐘楼、明治以降に開山堂、祠堂、方丈、庫裡が再建されている。 境内には初代忠真、同婦人の永貞院(えいていいん)、二代忠雄、八代忠嘉(ただよし)、九代忠幹(ただよし)の墓所ほか、開祖即非、二代法雲(ほううん)の墓がある。さらに放生池(ほうじょういけ)や座禅石などが樹林の中に散在している。()
即非如一(そくひにょいち)禅師は、1657年日本に来たり、のち宇治黄檗山に登り隠元(いんげん)禅師の法化を助く。1664年長崎崇福寺に帰る途中、小倉藩小笠原氏の請により福聚寺を開山した。1671年に長崎崇福寺で没す。黄檗宗は、1654年中国の渡来僧・隠元(いんげん)禅師を始祖とする臨済禅の一派。隠元(いんげん)は長崎崇福寺の僧逸然の懇請により来朝、1658年徳川家綱に謁見して法を説き、宇治に寺地を賜り、大本山萬福寺を創建した。宗風は明代の念仏禅に影響を受け、法式も中国の風習を踏襲するのが特徴である。()