万松寺の御朱印
本尊 十一面観音

本尊 十一面観音
身代不動明王

身代不動明王
菩提所

菩提所

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万松寺(ばんしょうじ)
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住所/〒460-0011 名古屋市中区大須3丁目29-12
TEL/052−262−0735
アクセス
★電車/地下鉄鶴舞線・名城線「上前津」駅より徒歩約3分
★車/名古屋高速「白川」出口より約5分
駐車場/約800台(有料)
拝観料/無料

白龍館
白龍館
手水鉢
手水鉢

単立寺院。山号は亀岳林(きがくりん)。本尊は十一面観世音菩薩。
正しくは亀嶽林(きがくりん)萬松寺(ばんしょうじ)
1540年に織田信秀公(織田信長公の父)が伯父の大雲永瑞大和尚を迎え、織田家の菩提寺として建立した。
創建時は名古屋市中区錦と丸の内2、3丁目にまたがったところで、大殿を中心に七堂伽藍の備わった一大寺院、寺域は約5万5千坪にも及んだ。
1610年(慶長15年)名古屋城築城にあたって、徳川家康公の命により現在地(大須)に移転した。()

本堂
本堂
本堂扁額
本堂扁額

1945年(昭和20年)3月12日の名古屋大空襲により、大須地域一円が焦土と化し、当寺も焼失した。
戦後、稲荷堂・不動堂を新築したが、本堂の再建は遅れ、1992年(平成4年)5月から工事に着手し、1994年(平成6年)4月に完成した(地下1階、地上5階建て鉄骨鉄筋コンクリート造り)。()

稲荷堂
稲荷堂
白龍
白龍
信秀公墓碑
信秀公墓碑

不動堂 名古屋城築城で万松寺が移転する際に同時に移された。1570年織田信長公が越前朝倉氏攻略の帰路、千種越えの際に琵琶湖の北方で、鉄砲の名手・杉谷善住坊の狙い撃ちに遭った。しかし信長公は万松寺和尚よりもらい受け懐に携えていた干餅(餅を寒気に晒して乾燥させた当時の保存食)に当り、かすり傷だけで一命を取り留めた。「これも万松寺の不動明王のご加護によるもの」と言われ、後に話を聞いた加藤清正公が「身代不動明王」と命名した。
稲荷堂 白雪だ枳尼真天を祀る。魔鏡が御神体。現在の万松寺の地に千年も前から住んでいた白狐が白雪様の狐族となって祀られたのが起源といわれる。伝説では万松寺が一時衰微したとき、このお稲荷様が御小女郎に化身し金を工面して、寺の窮状を救ったといわれる。このことから別名「御小女郎稲荷」と言われ、商売繁盛、金運招福の祈願に多くの人が訪れる。
信秀公墓碑 織田信秀公は織田信長公の父で「尾張の虎」と呼ばれた戦国武将。織田氏一族の内紛を制して尾張の南半分を領し、尾張の商業発展の基盤を築いたが、1552年3月3日、42歳の若さで病死した。この墓碑は老朽化した諸堂の立て直しに伴い奥の院がなくなったため、2018年(平成30年)3月に移転された。
信秀公の葬儀で、信長公が位牌に抹香を投げつけた場面はこの万松寺が舞台である。()

稲荷堂・不動堂
稲荷堂・不動堂
白龍館
白龍館

(上)白龍館 2015年(平成27年)5月に着工し、2年の歳月をかけた再建工事が完了し、地下2階、地上5階の耐震ビル型諸堂となった。()



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