豪徳寺のご朱印
ご朱印 ご朱印

東京の神社・仏閣
豪徳寺(ごうとくじ)
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住所/〒154-0021 東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
TEL/03−3426−1437
アクセス
★電車/小田急小田原線「豪徳寺」駅から徒歩約10分
      東急世田谷線「宮の坂」駅から徒歩約5分
★車/首都高速「永福」ランプから約15分
駐車場/約20台(無料)
拝観料/無料
開門時間/6:00〜18:00(受付:9:00〜16:30)

参道入口
参道入口
東門
東門

山門
山門
山門扁額
山門扁額

曹洞宗。山号は大谿山(だいけいざん)
世田谷城主吉良政忠が、1480年に亡くなった伯母の菩提のために建立したと伝える弘徳院を前身とする。
1584年、中興開山門庵宗関(もんなんそうかん)(高輪泉岳寺の開山)の時、臨済宗から曹洞宗に改宗した。()

仏殿
仏殿
仏殿扁額
仏殿扁額

仏殿扁額
仏殿扁額
仏殿
仏殿

1633年、彦根藩世田谷領の成立後、井伊家の菩提寺に取り立てられ、藩主直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなみ豪徳寺と改称した。直孝の娘掃雲院は多くの堂舎を建立、寄進し、豪徳寺を井伊家の菩提寺にふさわしい寺観に改めた。仏殿とその三世仏像、達磨・大権修理菩薩像、及び石灯籠二基、梵鍾が当時のままに現在に伝えられている。()

庫裡
庫裡
本堂
本堂

本堂扁額
本堂扁額
本堂
本堂

境内には、直孝を初め井伊家代々の墓所があり、井伊直弼の墓は都史跡に指定されている。ほかに直弼の墓守として一生を終えた遠城謙道、近代三大書家の随一日下部鳴鶴(いずれも旧彦根藩士)の墓、桜田殉難八士之碑がある。また同寺の草創を物語る洞春院(吉良政忠)と弘徳院の宝篋印塔が残されている。()

参道入口
参道入口
鐘楼
鐘楼

納骨堂
納骨堂
三重塔
三重塔
三重塔
三重塔

彦根藩主井伊家墓所(豪徳寺井伊家墓所) 井伊家は遠江国井伊谷を中心に勢力を持った武士で、戦国期には今川氏の配下にあった。井伊家24世とされる直政は1575年に15歳で徳川家康に仕え、1600年の関ヶ原合戦においては、自ら先鋒を務め東軍の勝利に貢献した。合戦後、直政は近江国など十八万石を与えられ、初代藩主として彦根藩の礎を築いた。続く二代直孝も大坂夏の陣で功績をあげ、近江国、下野国、武蔵国世田谷にあわせて三十万国を有する譜代大名の筆頭格となった。以後、幕末までこの家格は堅持され、藩主は江戸城溜間に控えて将軍に近侍し、時には大老職に就き幕府政治に参与した。()

都史跡石碑
都史跡石碑
井伊家墓所
井伊家墓所
井伊家墓所案内図
井伊家墓所案内図

墓所の北西角には、中興開基の直孝墓が位置し、そこから南西に直進したところに幕末の大老十三代直弼(宗観院殿)墓がある。直弼墓に至る参道沿いには、藩主や藩主正室らの墓石が整然と並び、豪徳寺の伽藍造営に貢献した亀姫(掃雲院殿・直孝長女)墓がその中央西側に位置している。
彦根藩主井伊家墓所は、豪徳寺、清涼寺(滋賀県彦根市)、永源寺(滋賀県東近江市)の三ヶ寺にあり、歴代藩主とその一族の墓が網羅される。各墓所は、将軍家側近でもあった井伊家の姿を物語り、江戸時代の幕藩体制と大名文化を考える上で欠くことのできない貴重な遺産であるため、一括で「彦根藩主井伊家墓所」として、2008年(平成20年)3月28日、国史跡に指定された。()

庫裡
庫裡
東門
東門

招福殿
招福殿
受付
受付

招福猫児(まねぎねこ) 招き猫発祥の地とされる。
井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避けることができ、そのうえ和尚の法談も聞け大いに喜んだ。その後、当時荒れ寺であった当寺に寄進をして堂宇を復興させ、やがて井伊家御菩提所としたといわれる。
彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」の由来でもある。 彦根市観光振興課「ひこにゃん公式サイト」()

招福猫児
招福猫児
招福猫児
招福猫児
招福殿門
招福殿門
招福猫児
招福猫児