池上本門寺のご朱印と御首題
ご朱印

ご朱印
御首題

御首題

東京の神社・仏閣
池上本門寺(いけがみほんもんじ)
【池上本門寺のサイトへ】

住所/〒146-8576 東京都大田区池上1-1-1
TEL/03−3752−2331
アクセス
★電車/東急池上線「池上」駅下車 徒歩約10分
     都営浅草線「西馬込」駅下車 徒歩約12分
     JR京浜東北線「大森」駅より
       池上駅行きバス「本門寺前」下車 徒歩約5分
★車/首都高速目黒線「戸越」出口より約15分
    首都高速羽田線「羽田」出口より約20分
    東名高速「東京」ICより約25分
駐車場/約100台(無料)
入山料/無料  境内自由
拝観料/300円(霊宝殿)
開館日/毎週日曜日  開館時間/10:00〜16:00

大堂・手水舎
大堂・手水舎

日蓮宗大本山。正しくは長栄山(ちょうえいざん)大国院(だいこくいん)本門寺(ほんもんじ)といい、古くより池上本門寺(いけがみほんもんじ)と呼ばれる。
本尊は本師釈迦牟尼仏。
日蓮宗十四霊蹟寺院、七大本山。
東国花の寺百ヶ寺東京4番札所、京浜四大本山のひとつ。()

総門
総門
仁王門
仁王門

1282年9月8日、日蓮は病気治療のため身延山(みのぶさん)を下り常陸(ひたち)(現在の茨城県北部)へ湯治に行く途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲(いけがみむねなか)(鎌倉幕府の作事奉行)の館に立ち寄る。そこで背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、本門寺と命名したのが起源という。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りが込められている。()

仁王門
仁王門
長栄堂
長栄堂

日蓮はその後、同年10月13日、現在の大坊本行寺(ほんぎょうじ)で入滅、池上宗仲(いけがみむねなか)が法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進した。それ以来「池上本門寺(いけがみほんもんじ)」と呼ばれている。
当寺には国が指定する重要文化財、五重塔・宝塔・木造日蓮聖人座像・兄弟抄をはじめとし、数多くの文化財や史跡がある。()

日朝堂
日朝堂
鐘楼
鐘楼

歴史的には鎌倉時代から江戸時代にかけて関東の武士が願いごとをし、特に慶長年間には徳川家康から寺領100石をうけた他、加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となっていた。
また明治維新の江戸城無血開城の新政府軍の本陣が置かれ、松涛園(しょうとうえん)内には西郷隆盛と勝海舟が会見したとされる地に石碑が建てられている。
初詣には毎年20万人が訪れ、大晦日には一般の方が除夜の鐘をつくことができる。また毎年10月11〜13日の3日間にわたって行われる日蓮聖人の遺徳を偲ぶ「お会式法要」は、12日夜・万灯練り供養に30万人に及ぶ参詣者で賑わう。()

前田利家室の層塔
前田利家室の層塔
経蔵
経蔵

(左上)前田利家室の層塔 前田利家の側室・寿福院が1622年に自身の逆修供養のために建てた十一重の層塔。
寿福院は三代加賀藩主利常の生母で、秀吉没後、徳川家との微妙な臣従関係を解決するため江戸へ人質になった。()

吽像
吽像
本殿
本殿
阿像
阿像

五重塔
五重塔
多宝塔
多宝塔
多宝塔
多宝塔

(左上)五重塔 旧国宝指定、重要文化財。関東に4基現存する近世以前の五重塔のうち一番古い塔。他の3基は旧寛永寺五重塔と法華経寺、日光東照宮の五重塔である。
発願は後の徳川2代将軍秀忠が15歳のころ、悪性の疱瘡にかかり一命も危うい容態であった時、熱心な法華信者であった岡部の局(のちの正心院)が篤く帰依していた第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託し、「心願が成就した暁には御礼に仏塔を寄進する」との念でひたすら祈願、その甲斐あって快癒し、将軍となった後、その御礼とあわせて武運長久を祈り1607年に建立したもの。
当初、大堂の右手前、現在の鐘楼堂と対の位置に建てられたが、1614年の大地震で傾き、1701年、5代将軍綱吉の命で現在地へ移築、修復された。その後、数度の修理を経て、1997〜2001年(平成9〜13年)日蓮聖人立教開宗750年慶讃記念事業の一つとして、全解体修理が施された。()

此経難持坂
此経難持坂
総門と此経難持坂
総門と此経難持坂
日蓮聖人像(説法像)
日蓮聖人像(説法像)

(左上)此経難持坂(しきょうなんじざか) 加藤清正の築造寄進。慈母の7回忌にあたる1606年、その追善供養のため、祖師堂を建立寄進し、併せて寺域も整備しているので、その折の築造と考えられる。元禄年間(1688〜1704年)に大改修されているが、清正公当時の原型を残す貴重な石造遺構である。
名称の由来は『妙法蓮華経』見宝塔品第11、此経難持の偈文96字にちなむ。すなわち、「末法の世に法華経を受持することの至難を忍び、信行することの尊さを石段を上ることの苦しさと対比させ、経文を読誦しつつ上れば自然にのぼれる」と言い伝えている。()