正平寺の御朱印
九州四十九院薬師霊場 御朱印

九州四十九院薬師霊場

大分の神社・仏閣
正平寺(しょうへいじ)
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住所/〒871-0411 大分県中津市耶馬溪町中畑1419
TEL/0979−54−3260
アクセス
★電車/JR日豊本線「中津」駅よりバスで「津民入口」バス停下車
      そのあと乗り換え「中畑」バス停下車 徒歩約2時間
★車/東九州自動車道「中津」ICから約45分
駐車場/約100台(無料)
拝観料/無料

霊場札
霊場札
本堂
本堂
霊場札
霊場札

天台宗。山号は桧原山(ひばるさん)。本尊は阿弥陀如来、薬師如来、十一面観世音菩薩。
九州四十九院薬師霊場第11番札所、耶馬渓新四国霊場第78番札所。
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薬師如来石像
薬師如来石像
本堂・霊場碑
本堂・霊場碑

587年釈正覚上人が、初め犬ヶ岳に長福寺を創立し、その後寺を当山に移し一寺を建立したのが始まりと伝わる。752年に勅願所と定められ、以来山を「桧原山」、寺を「正平寺」と称するようになった。969年に大講堂が建立され、それ以来十二坊の精舎は国府の所管するところとなり、鎮護国家の祈願道場として、荘厳完備し豊前山岳仏教の修験霊場として英彦山、求菩提山と共に隆盛をきわめ、盛時二十四坊を有し郡民崇敬の篤い山であった。()

本堂扁額
本堂扁額
本堂内陣
本堂内陣

もとは大字中畑、大字福土の二村が寺領であったが、黒田氏中津城主の時(1587年)米百石を附して二村の所領を没収された。黒田氏以来、細川、小笠原氏を経て、奥平氏に至り深く信仰され、田畑山林寄附米等を増加し山上における全ての堂宇の営繕を負担され、奥平富之進昌高氏は1787年見事な上宮本堂を建立した。
明治初年には本寺として九ヶ坊の末寺を有したが、その後の廃仏毀釈により山林全部を国有林に編入された。そして1888年(明治21年)山火事により上宮本堂を焼失したため、石龕三宇を建立して本尊を安置、1890年(明治23年)宗達により大分県下一円福岡県京都郡と併せて天台宗務支所となった。()

水子地蔵堂
水子地蔵堂
石像群
石像群

鐘楼
鐘楼
石造梵字鳥居
石造梵字鳥居

(右上)石造梵字鳥居 県指定有形文化財(2003年3月指定)。
山頂の桧原権現に建立されたもので、島木の部分に梵字七字を彫刻している。()

耶馬渓新四国第77番霊場
耶馬渓新四国第77番霊場
耶馬渓新四国第77番霊場
耶馬渓新四国第77番霊場

耶馬渓新四国八十八ヶ所霊場 耶馬渓四国八十八ヶ所霊場は1918年(大正7年)に始まり、当時中津市寺町普門院住職青木円海師外数名の有志達と共に、耶馬渓随一の景勝競秀峰一帯に仏像を安置し、円海師を先達として毎年千人詣りが行われた。しかし何時とはなしに参詣は皆無の状態となって今日に至った。
1953年(昭和28年)円海師示寂、1955年(昭和30年)円海師の従弟当時弘法寺住職等が新たに耶馬渓全域にわたる広大な地に新四国八十八ヶ所霊場開創を発願、幾多の試練があったが、1977年(昭和52年)に大願成就し耶馬渓新四国八十八ヶ所霊場が生まれた。()



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