般若寺の御朱印
関西花の寺霊場 御朱印

関西花の寺霊場
 御朱印

奈良の神社・仏閣
般若寺(はんにゃじ)
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住所/〒630-8102 奈良市般若寺町221
TEL/0742−22−6287
アクセス
★電車/JR大和路線・奈良線、または近鉄奈良線「奈良」駅から
     バスで「般若寺」下車 徒歩約3分
★車/第二阪奈道路「宝来」ICより約25分
   京奈和自動車道「木津」ICより約15分
駐車場/約40台(500円)
通常拝観料/500円、花期特別拝観料金/700円
拝観時間/9:00〜17:00
    (1、2、3、4、7、8、12月は9:00〜16:00)

楼門
楼門
本堂・コスモス
本堂・コスモス

真言律宗。山号は法性山。本尊は八字文殊菩薩騎獅像(文殊菩薩)。
西国薬師四十九霊場第3番札所、関西花の寺二十五ヶ所第17番霊場。
通称はコスモス寺。()

本堂
本堂

飛鳥時代に高句麗の慧灌(えかん)法師によって開かれた。735年、聖武天皇が平城京の鬼門を守るため大般若経を基壇に納め、卒塔婆を建てられたのが寺名の起こりとされる。
平安時代には学問寺として千人の学僧を集めて栄えたが、1180年平家の南都攻めに遭い、伽藍は灰燼に帰した。
鎌倉時代に入って廃墟の中から十三重石宝塔をはじめ七堂伽藍の再建が行われた。なかでも金堂本尊には西大寺叡尊(えいそん)上人により丈六の文殊菩薩が祀られ信仰の中心となった。()

十三重石宝塔
十三重石宝塔
カンマン石
カンマン石

(左上)十三重石宝塔 国重要文化財。奈良時代に平城京のため聖武天皇が大般若経を地底に収め塔を建てたと伝えるが、現存の塔は東大寺の鎌倉復興に渡来した宋人の石大工伊行末(いぎょうまつ)が1253年頃に建立した。発願者は「大善功の人」としか判明しないが、完成させたのは観良房良慧(かんりょうぼうりょうけい)で、続いて伽藍を再建し、般若寺再興の願主上人と称された。以後数度の大地震や兵火、廃仏毀釈の嵐に見舞われるも、1964年(昭和39年)大修理を施し現在に至る。初重軸には東面薬師、西面に阿弥陀、南面に釈迦、北面に弥勒の四方仏を刻む。なお修理の際、塔内から発見された白鳳金銅阿弥陀仏とその胎内仏は秘仏として、特別公開の時のみ公開される。()

笠塔婆
笠塔婆
西国観音三十三観音石像
西国観音三十三観音石像

(左上)笠塔婆 国重要文化財。笠塔婆形式の石塔では日本最古の作例。1261年に宋人石工伊行吉(いぎょうきち)が父伊行末(いぎょうまつ)の一周忌に当たりその追善と現存の悲母の供養のために建立した。両塔の前面下部に伊行末の出身地や東大寺再建に従事したことなどその業績を記す。明治初年の廃仏毀釈に遭い破壊され、1892年(明治25年)に境内へ移設再建された。能の謡曲「笠卒塔婆」は本塔を題材にした平重衡の修羅もので室町時代の頃は重衡の墓と見られていた。
(右上)西国観音三十三観音石像 西国三十三箇所観音霊場の御本尊を石像にしたもので1703年に山城国相楽郡北稲八間村(現京都府精華町)の寺島氏が病気平癒の御礼に寄進した。当初は十三重石宝塔の基壇上に安置されていたが、昭和の大修理で現在のように本堂周辺に配置された。江戸時代には南都の観音霊場もあり、当寺も札所の一つとして信仰をあつめていた。()



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