橘寺のご朱印
新西国霊場 ご朱印

新西国霊場

奈良の神社・仏閣
橘寺
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住所/〒634-0142 奈良県高市郡明日香村橘532
TEL/0744−54−2026
アクセス
★電車/近鉄橿原線「橿原神宮前」駅より、奈良交通バス「岡橋本」下車 徒歩約3分
★車/西名阪自動車道「郡山」ICより約50分
    南阪奈自動車道「葛城」ICより約40分
駐車場/約40台
拝観料/350円
拝観時間/9:00〜16:30

東門
東門
本堂
本堂

天台宗。正しくは仏頭山上宮皇院橘寺、別名菩提寺とも言われる。天台宗になったのは江戸時代中期からで、それ以前は法相宗。新西国霊場第10番札所。()

観音堂
観音堂
経堂
経堂

この地は聖徳太子が生まれたところで、当時は橘の宮という欽明(きんめい)天皇の別宮であった。聖徳太子は572年、欽明(きんめい)天皇の第四皇子の橘豊日命(たちばなのとよひのみこと)(後の31代用命天皇)と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)を父母としこの地に生まれ、幼名は厩戸皇子(うまやどのみこ)豊聡耳皇子(とよとみみのみこ)などと言った。太子は大変深く仏法を信仰し、自ら仏典の講義をして注釈を加えたのが三経義疏(さんきょうぎしょ)で、現在も保存されている。()

護摩堂
護摩堂
鐘楼
鐘楼

606年推古天皇の仰せで勝鬘経(しょうまんきょう)を三日間にわたり講讃した。その時、大きな蓮の花が庭に1mも降り積もり(蓮華塚)、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ち(仏頭山)、太子の冠から日月星の光が輝き(三光石)、不思議な出来事が起こったので、天皇は驚き、この地にお寺を建てるよう太子に命じた。そこで御殿を改造して造ったのが橘樹寺(たちばなのきてら)で、聖徳太子建立七ヶ大寺の一つに数えられた。当初は東西870m、南北650mの寺地に、金堂、講堂、五重塔を始め66塔の堂舎が立ち並んでいた。日本書記には681年尼房失火のため十房焼いた記録があり、当時は尼寺であったと思われる。また法隆寺の金堂日記の中に「橘寺より小仏四九体、承暦2年(西暦1078年)10月8日迎え奉った。」と記されており、玉虫厨子を移したのはこの頃と思われる。()

三光石
三光石
阿字池
阿字池

田道間守(たじまもり) 日本書記によると、十一代垂仁天皇の時、勅命を受けてトコヨの国(中国雲南省?)へ不老長寿の薬を求めに行った田道間守(たじまもり)が十年の長い間苦労してようやく秘薬を捜し求め、持ち帰ったところ、天皇はすでに亡くなっていた。このとき彼が持ち帰ったものを「トキジクノカグノコノミ」といい、この実を当地に蒔くとやがて芽を出したのが橘(ミカンの原種)で、それからこの地を橘とよぶようになったと伝えられている。また彼は、黒砂糖も持ち帰り橘と共に薬として用いたので、後に蜜柑、薬、菓子の祖神として崇め祭られるようになった。菓子屋に橘屋の屋号が多く用いられるのは、この縁によるものである。

五重塔跡
五重塔跡
鬼瓦
鬼瓦

(左上)五重塔跡 本坊の門の前にある土壇で、中心には大きい珍しい形をした心礎があり、直径約90cm、深さ10cmの柱が入る孔、その円孔の三方に半円径の孔(そえ柱孔)が掘ってある。現存すれば約38m余りの五重塔が建っていたことになる。()

往生院
往生院
天井画
天井画

(上)往生院 念仏写経研修道場として1997年(平成9年)に再建されたもの。道場内の格天井には著名な画家の華の天井画が260点奉納されている。()

石塔と親鸞聖人像
石塔と親鸞聖人像
西門
西門