狭野神社の御朱印
御朱印 皇子原神社 御朱印

皇子原神社

宮崎の神社・仏閣
狭野神社(さのじんじゃ)
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住所/〒889-4414 宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田117
TEL/0984−42−1007
アクセス
★電車/JR吉都線「高原」駅より徒歩約60分
★車/宮崎自動車道「高原」ICより約10分
駐車場/約100台(無料)
拝観料/無料  境内自由

表参道鳥居
表参道鳥居
西参道鳥居
西参道鳥居

御祭神は神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)(神武天皇)。吾平津姫命(あひらつひめのみこと)、他六柱を配祀する。
神武天皇は御幼名を狭野尊(さののみこと)と言うが、皇族の御幼名は生まれ育った地名を付ける慣習があった事から、当地の地名の狭野が由来すると伝えられている。()

神門
神門
神門
神門

霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)の一つ。
人皇第5代孝昭天皇の御代、神武天皇ご生誕の地に創建されたのが始まりと伝えられている。その後、再三にわたる霧島山の噴火により社殿等炎上の災厄に遭ったが、1610年現在地に社殿を造営遷座された。その他、藩主島津氏より社殿の改築、社領の寄進等が行われた。()

神門・修祓殿
神門・修祓殿
外拝殿
外拝殿

御社殿
御社殿
車祓所
車祓所

現在の社殿は1907年(明治40年)に宮崎神宮の旧社殿を移築したもので1917年(大正6年)に宮崎神宮の別宮に指定された。第二次大戦後に再び独立の神社となり、1976年(昭和51年)に神社本庁の別表神社に列格した。()

社務所
社務所
南参道鳥居
南参道鳥居

狭野杉
狭野杉
御社殿
御社殿

(左上)狭野杉 豊臣秀吉の朝鮮の役で、薩摩藩主島津義弘公が凱旋の後、重臣新納武蔵守忠元(にいろむさしのかみただもと)を遣わし狭野神社別当寺神徳院の住職宥淳法印(ゆうじゅんほういん)と協力し植栽したもので、1924年(大正13年)国の天然記念物に指定されている。()

豊受神社・神徳神社・仁王様
豊受神社・神徳神社・仁王様
仁王様
仁王様

(右上)仁王様 享保時代に神徳院(狭野神社の別当寺)守護神として建立されたと伝える享保19年(1734年)の銘がある。()

新燃岳大噴火乃碑
新燃岳大噴火乃碑
新燃岳大噴火乃碑(裏)
新燃岳大噴火乃碑(裏)
新燃岳大噴火乃碑・豊受神社
新燃岳大噴火乃碑・豊受神社

皇子原神社(おうじばるじんじゃ) 狭野神社末社。
狭野神社より東に1km程にあり、神武天皇のご生誕の地といわれ、産場石(うべし)と呼ばれる神石が奉斎されている。()

社号碑
社号碑
一の鳥居
一の鳥居
二の鳥居
二の鳥居
社殿・二の鳥居
社殿・二の鳥居

社殿
社殿
社殿
社殿
古代住居
古代住居
古代住居
古代住居






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