高屋神社の御朱印
御朱印

宮崎の神社・仏閣
高屋神社(たかやじんじゃ)

住所/〒880-0837 宮崎市村角町橘尊1975
アクセス
★電車/JR日豊本線「蓮ヶ池」駅下車 徒歩約20分
★車/東九州自動車道「宮崎西」ICより約20分
駐車場/数台(無料)
拝観料/無料  境内自由

参道
参道
正面鳥居
正面鳥居

御祭神は彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)(山幸彦)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)景行天皇(けいこうてんのう)
創建は不詳。
「日本書紀」神代巻下に鹿葦津姫(かあしつひめ)木花開耶姫(このはなさくやひめ))御出産の折り、御子彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)のへその緒を切って捨てた竹刀が後に竹林となり、その地を竹屋(たかや)と名付けたとあり、社名の由来という。これに因み安産子育の神と崇められてきた。()

拝殿
拝殿
拝殿神額
拝殿神額

第12代景行天皇の熊襲御親征の際、当地に行宮「高屋宮」を建て、6年間御駐輦されたと「日本書紀」巻第7に記されている。武内宿禰が山稜聖跡である当地を選んだもので、約1900年前から皇神を崇め祀り、社殿が創建されたものと考えられる。仁明天皇嘉祥2年(849年)の当社旧社家系図に神官就任の記録があり、古代における祭礼の執行を証している。
平安末期には宇佐八幡宮の領として村角別府が成立し、当社も永く高屋八幡宮と称していたが、江戸時代中期宝暦年間(1751〜1764年)の頃には高屋宮と称し、明治時代になって現社名となった。()

本殿・若宮神社
本殿・若宮神社
弘法大師像
弘法大師像

高屋山上陵
高屋山上陵
高屋山上陵
高屋山上陵

高屋山上陵(たかやのやまのうえのみささぎ)
社殿西方の古墳は、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)の陵墓「高屋山上陵(たかやのやまのうえのみささぎ)」の伝承地の一つとされている。()

高屋山上陵
高屋山上陵
社号碑
社号碑
夫婦楠
夫婦楠



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