休み山。 支那の梁の高僧布袋師を祀るので布袋山と言ったが、山は1788年(天明8年)の大火で焼失し、今は本尊のみ祀られている。慶長以来祇園会に加わって巡業した曳山であったが、宝暦以後は飾山として行列には参加しなかった。布袋師は、名は契此、明州奉北縣の人、長汀子と号した。常に杖を持って布嚢を担っていたので布袋師という。
今の本尊は支那伝来の白青瓷に金銀青丹を施した優れた磁器である。高さ5寸の坐像、方7寸の精巧な堆朱の須彌壇上に安置され、前方左右に唐子童子を具しているが、天明大火前のものは木像であった。古来、天魔厄神を除き、寿福を増長し、子孫を繁昌するものとして信仰され、現に安産の守神である。 ちなみに姥柳町を一名布袋山町というのはこの山がある故である。
|