真如堂のご朱印
洛陽六阿弥陀巡拝 ご朱印

洛陽六阿弥陀
洛陽三十三所 ご朱印

洛陽三十三所

京都の神社・仏閣
真如堂
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住所/〒606-8414 京都市左京区浄土寺真如町82
TEL/075−771−0915
アクセス
★電車/JR京都線「京都」駅、阪急「河原町」駅、
     京阪「三条」駅・「出町柳」駅、地下鉄「丸太町」駅から
      市バス「錦林車庫前(きんりんしゃこまえ)」または「真如堂前」下車 徒歩約10分
★車/名神「京都東」ICより約20分
    あるいは「京都南」ICより約30分
駐車場/約5台(無料)
拝観料/500円(本堂・庭園) 境内無料
拝観時間/9:00〜16:00

総門(赤門)
総門(赤門)
三重塔
三重塔

正しくは真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)という天台宗の寺である。洛陽六阿弥陀霊場第1番札所、神仏霊場京都31番。
984年(平安中期永観2年)比叡山延暦寺の僧・戒算(かいさん)上人(しょうにん)延暦寺常行堂(じょうぎょうどう)にあった阿弥陀如来像を東三条院藤原詮子(ふじわらのせんし)(一条天皇の母、藤原道長の姉)の離宮に移し安置したのが始まりとされる。当初、現在地の東北に位置する元真如堂(換骨堂)の地にあったが、応仁の乱で荒廃した後、各地を転々とし、1693年に現在地への再建が開始された。()

本堂
本堂
本堂扁額
本堂扁額

本堂(重要文化財)は江戸時代1717年の上棟で、京都市内の天台宗寺院の本堂として最大規模を誇り、内部には本尊の阿弥陀如来立像(重要文化財)が祀られている。本尊は「うなずきの弥陀」とも呼ばれ、毎年11月15日にのみ開帳される。寺宝として、仏師運慶の発願によって書写された法華経六巻(国宝)をはじめ、応仁の乱などを描いた室町時代の真如堂縁起(重要文化財)、毎年3月に公開される大涅槃図(だいねはんず)など、多数を蔵する。
秋には、東山を借景にした「涅槃の庭」や三重塔、梵鐘に色付いたもみじが映え、紅葉の名所としても有名である。()

元三大師堂
元三大師堂
萬霊堂
萬霊堂

新長谷寺
新長谷寺

(上)新長谷寺 洛陽三十三所第五番札所。開基は藤原山陰(ふじわらのやまかげ)
陽成天皇の御代(877〜884年)、藤原高房が三歳の子供を連れて西国に赴こうとしていた時、一人の漁師が一匹の大亀を殺そうとしていた。高房はこれを助け、翌朝出帆した。ところがこの途中で海が荒れて子供が海に落ちてしまった。この時、出帆前に助けた大亀が子供を助けてくれた。高房はこれも日頃から信仰している長谷観音様のお陰であるとさらに深く帰依するようになった。
時を経て、その子は大きくなり藤原山陰(ふじわらのやまかげ)と名乗り、妻と一子をもうけ、幸せな家庭を築いた。妻が病死し後妻を迎えたが、その後妻は自分の子供が生まれてからは先妻の子が憎くなり、山陰が太宰府長官となって一族が九州に赴く船で、その子を海に突き落とした。悲嘆にくれた山陰が海に落ちたその子を探していると、かって自分を助けてくれた大亀が、その子をも救ってくれていた。山陰は、二度までも救ってくれた大亀は観音様のご加護に違いないと感謝し、長谷寺十一面観音像を写した像を作り、春日仏師による八尺の大像を前立ちとして、吉田神楽岡のふもとに新長谷寺を建立した。その後、新長谷寺は明治維新の廃仏毀釈の時に真如堂境内に移転された。
藤原山陰(ふじわらのやまかげ)が開基・創建したものに吉田神社と西国三十三所の総持寺がある。()

三重塔
三重塔
三重塔
三重塔

寺社巡り覚書
11月から12月初旬は紅葉で、境内は一年で最も賑わう。桜やカエデ・モミジ、銀杏など、色も様々な赤色や黄色。比較的シーズンも長く、ピークは本堂前から裏手に移る。
JR東海の「そうだ京都、行こう。」キャンペーンで、2002年盛秋のポスターに取り上げられたこともあるほど。()

本堂裏
本堂裏
本堂裏
本堂裏