浄土宗。山号は引接山。洛陽三十三所第八番札所(平成の復興にあたり、新札所に入る)。後光明天皇勅願所。
本尊阿弥陀如来は慈覚大師作と言われ、安産阿弥陀如来として古くから信仰を集めている。慈覚大師は晩年、比叡山の念仏堂にこもり、念仏三昧に修業し、最後に阿弥陀如来を彫った。仕上げに掛かっていると、夢の中で阿弥陀如来が「比叡山から京都へ下りて、女人の厄難(お産の苦しみ)を救いたい」と告げた。そのお告げに従い、女人禁制だった比叡山を下りて真如堂に安置されると、たちまち京都の女性たちから圧倒的な信仰を集めた。しかし、応仁の乱で真如堂は荒廃し、阿弥陀様も行方しれずとなった。後に大蓮寺開山の深誉上人が、伏見の荒れたお堂でこの阿弥陀様を見つけ、誰もお守りしていないことに心痛し、1600年大蓮寺を建立し、この阿弥陀如来を安置した。
一方、真如堂は元禄年間の頃に復興し、失った阿弥陀如来を探し始めた。やがて大蓮寺の阿弥陀如来がかつての真如堂の本尊であることが分かった。幕府からその阿弥陀如来を真如堂へ返還するよう命ぜられた深誉上人は、21日間念仏を称え続けた。すると成満の21日目の朝、驚いたことに阿弥陀如来像が二体に分かれた。結局、大蓮寺と真如堂で一体ずつ安置することになり、現在まで伝えられている。 現在当寺には、祇園社本地仏薬師如来、洛陽八番十一面観音菩薩、洛陽十二社中の夜叉神明王が安置されている。これらは現在の八坂神社の前身、祇園社感神院にあった観慶寺にあったもの。深誉上人が観慶寺の勧進をつとめたことがあり、その縁で、廃仏毀釈で観慶寺が廃寺になった時に移された。
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