離宮八幡宮のご朱印
乙訓鎮座神社巡り ご朱印

乙訓鎮座神社巡り

京都の神社・仏閣
離宮(りきゅう)八幡宮
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住所/〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1
TEL/075−956−0218
アクセス
★電車/JR京都線「山崎」駅 下車徒歩約1分
     阪急京都線「大山崎」駅 下車徒歩約3分
駐車場/なし
拝観料/無料  境内自由

惣門
惣門
鳥居・中門
鳥居・中門

本殿に応神天皇、左殿に酒解大神(さかとけのおおかみ)(別称大山祇神(おおやまつみのかみ))、右殿に比売三神(ひめさんしん)を祀る。
石清水八幡宮の元社。乙訓鎮座神社巡りのひとつ。()

拝殿
拝殿
東門
東門

平安時代の始め清和天皇が霊夢により、九州の宇佐八幡宮より八幡神を京に遷座するため、僧行教に命じた。行教が八幡神を奉じて帰京する途中、山崎津で夜の山に霊光を見た。その地を少し掘り石清水が湧いたのを帰京後天皇に奏上したところ、国家鎮護のため清和天皇の勅命により、859年石清水八幡宮として建立されたのが始まりとされている。()

河陽宮故址碑
河陽宮故址碑
油祖像
油祖像
本邦製油発祥地碑
本邦製油発祥地碑

その後、対岸の男山にも分祀され、以後はそちらが石清水八幡宮と称されるようになった。ここは嵯峨天皇の離宮である河陽宮の跡地であったため、離宮八幡宮と名付けられた。()

高天宮神社・気比宮・鹿島神社・蛭子神社・天照皇太神社・武内社
高天宮神社・気比宮・鹿島神社・蛭子神社・天照皇太神社・武内社

貞観年間(859〜876年)、時の神官が神示を受けて「長木(ながき)」という搾油器を発明し荏胡麻(えごま)油の製油を始めた。当時、油は神社や寺院の灯明(とうみょう)用として献上されるほど貴重なものであり、 離宮八幡宮は朝廷より「油祖」の名を賜り、鎌倉時代には油座が結成され荏胡麻(えごま)油の販売権を独占して栄えた。しかしその後、織田信長の楽市楽座の政策で打撃を受け、江戸時代になると菜種油が大量生産されるようになりこれに市場を奪われ徐々に衰退する。
そして、幕末の元治元年(1864年)「禁門の変」(蛤御門の変)では尊皇攘夷派である長州藩駐屯所となり、幕府・薩摩連合軍側の砲撃にあい焼失した。
その後再建されるものの、 1876年(明治9年)東海道本線の京都神戸間開通により、境内の北側を国鉄(現JR)に譲るなどし、もとの3分の1以下に縮小されて現在に至る。()

腰掛天神・菅原道真腰掛け石
腰掛天神・菅原道真腰掛け石
勝手神社・小禅師宮
勝手神社・小禅師宮