称讃寺の御朱印
洛西観音霊場 御朱印

洛西観音霊場

京都の神社・仏閣
称讃寺(しょうさんじ)
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住所/〒615-8041 京都市西京区牛ヶ瀬青柳町24
TEL/075−381−8083
アクセス
★電車/JR京都線「桂川」駅より徒歩約15分
    阪急京都線「桂」駅より徒歩約25分
★車/名神「京都南」ICより約15分
駐車場/なし
拝観料/無料

山門
山門
本堂
本堂

浄土宗西山禅林寺派。山号は青柳山。本尊は阿弥陀如来。
京都洛西観音霊場第20番札所。札所本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。
もとは小山寺(しょうさんじ)といい、829年に忍戒(にんかい)僧都の開基と伝わる。
1879年(明治12年)に観音寺と合併したが、1909年(明治42年)に本堂、庫裡を全焼し、観音寺本堂が使用された。2001年(平成13年)新本堂が建てられた。
1978年(昭和53年)山号の紫雲山を改め、青柳山称讃寺と号する。()

本堂扁額
本堂扁額
本堂扁額
本堂扁額

古い昔の牛ヶ瀬が柳の庄と呼ばれた頃、平安遷都の少し前、今の称讃寺本堂の東側から湧き出ていた柳の清水を延鎮僧都(えんちんそうず)が桓武天皇に奉ったところ、病がたちまち癒えたという。792年、延鎮は清水に光り輝いて現われた観音像を倒れてきた柳木に刻み、牛ヶ瀬に青柳山観音寺を開山した。この柳木は、かつて行叡居士(ぎょうえいこじ)の言によって、延鎮が刻んだ清水寺の観音と同木であったといい、観音寺開山が行叡居士の遺志であったという。
832年に観音寺の諸堂が建立。奥の坊に安置されていた阿弥陀像は時の住職忍戒(にんかい)の作。
室町時代1427年応永の兵火で、時の住職弘道は観音像を南の田中の草堂に安置した。1471年に弘道は以前の場所に観音寺の小堂を再建した。1467年の応仁の乱では阿弥陀像が土中に埋もれ、閑誉(かんよ)和尚により称讃寺再建、安置されたと伝わる。
観音寺は明治の廃仏毀釈で称讃寺と合併した。()




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