京都の神社・仏閣
高松神明神社
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住所/〒604-8271 京都市中京区姉小路通釜座東入津軽町790
TEL/075−231−8386
アクセス
★電車/地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅より徒歩約5分
★車/名神高速「京都東」ICより約25分
駐車場/なし
拝観料/無料
拝観時間/9:00〜18:00

正面鳥居
正面鳥居
拝殿
拝殿

御祭神は天照大御神・八幡大神・春日大神。
高明(たかあきら)(914〜982)の邸内に祀られていた鎮守社高松明神が始まり。当地は高松殿と称され、源高明は醍醐天皇の皇子、西宮左大臣と呼ばれた。「拾芥抄(しゅうがいしょう)」という本には「姉小路北西洞院東高明親王家」と記されている。
高明の末娘明子は藤原道長と結婚し、当所に住して高松殿と称された。
その後、1155年には後白河天皇が当所で即位した。保元の乱(1156年)の際には後白河天皇の本拠地となり、源義朝(よしとも)や平清盛(きよもり)らの軍勢がここに参集して、崇徳上皇方の白河北殿へ攻め込んだことは有名である。
その後、平治の乱(1159年)で高松殿は焼失するが、当社のみが残った。()

地蔵堂
地蔵堂
境内
境内

境内には、地蔵尊、金比羅神社をはじめとする末社があったが、幕末の蛤御門の変による大火によりことごとく焼失した。
境内には1794年に紀州九度山の伽羅陀山真田庵に安置してあった真田幸村の念持仏を拝領してきた神明地蔵尊「幸村の知恵の地蔵尊」がある。地蔵堂の台石をさすり、子達の頭をなでると知恵を授かると信仰されている。
かっては宝性院という寺院と神社が一体で、高松神明宮宝性院という神宮寺であった。明治時代初めの神仏分離令により宝性院は廃寺となり、高松神明神社だけが残り現在に至る。()



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