尼寺三十六所霊場 |
真田庵 |
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住所/〒648-0101 和歌山県伊都郡九度山町九度山1413 |
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山門 |
本堂 |
高野山真言宗。尼寺三十六所霊場第20番札所。 |
本堂 |
本堂 |
信州上田城主であった真田安房守昌幸は関ヶ原合戦の時に次男信繁と共に西軍に組して戦った。戦のあと、徳川家康から高野山での謹慎を命じられ、1600年に高野山に登りまもなく父子共にこの九度山に閑居した。昌幸は1611年に65歳で亡くなり、屋敷地に葬られたのがこの墓地である。 |
(左)土砂堂(右)大安上人御廟 |
土砂堂 |
大安上人は1694年に九度山村で生まれる。13歳のとき高野山西生院へ弟子入り、その後、京都また諸国を巡り、40歳で九度山村に戻る。1741年に真田の旧跡へ地蔵尊を安置した。 |
長屋門の菊花紋章 |
長屋門の六文銭紋章 |
六文銭旗の由来 1582年、三国峠で上杉軍を説き伏せた真田父子は三百余人の軍勢を引いて三国峠を過ぎた笠が城で北条氏政の大軍四万五千と対決。その時信繁(幸村)は14歳。父昌幸に「家名をあげるのはこの時です。どうして恐れることがありましょうか」と言って無紋の旗を取出し北条方の重臣松田尾張守の旗の紋、永楽通宝の紋を描き、旗六本を造り味方を六隊に分け敵陣に夜討ちをかけた。北条方は松田が謀反を起こした言って大騒動となった。昌幸は信繁にその功を誉め「お前は今から定紋を六文銭にすることを許す」と言ったという。 |
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長屋門 |
雷封じの井 |
真田地主大権現 |
大安上人御廟 |
(左上)真田地主大権現 当寺で怒った姿の昌幸の霊がたびたび見られた。そこで大安上人は昌幸の霊をこの地の大権現の神様にして祀ったところ、穏やかな顔になった昌幸が現れ、そして祀ってもらったお礼にこの地を守ると約束したという。 |