初代の住職は和泉式部。寺名は和泉式部の法名「誠心院専意法尼」に由来する。 和泉式部は974〜978年の間に生まれたといわれる平安中期の歌人で、中古三十六歌仙の一人に数えられる。父は大江雅致、夫は和泉守の橘道貞で、父の官名と夫の任国とをあわせて「和泉式部」と呼ばれた。冷泉天皇の皇子・為尊親王と恋をするが為尊親王は1002年に死去、その後、弟の敦道親王と恋に落ちるが、彼もまた1007年に早世した。敦道親王との恋の顛末を記した物語風の日記『和泉式部日記』が有名。その後、藤原道長の娘・上東門院彰子(一条天皇の中宮)に女官として仕え、紫式部や赤染衛門と共に宮廷サロンを築いた。今に伝わる歌集としては『和泉式部正集』、『和泉式部続集』などがある。『拾遺和歌集』などの勅撰集に246首の和歌を採られ、『後拾遺和歌集』では最多の歌が選ばれている。百人一首には「あらざらん この世のほかの おもいでに いまひとたびの あうこともがな」、娘の小式部内侍の一首に「おおえやま いく野の道の とおければ まだふみも見ず あまのはしだて」がある。
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