洛陽三十三所 |
地蔵院(椿寺) |
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住所/〒603-8332 京都市北区一条通り西大路東入る大将軍川端町2 |
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山門 |
本堂 |
山号は昆陽山。通称、椿寺と呼ばれる。726年聖武天皇の勅願により、行基が摂津の昆陽池のほとりに一寺を建立し地蔵院と号したのが始まり。その後、平安時代に衣笠山の南に移されたが、室町時代1391年内野の合戦で焼失した。足利義満は荒廃を惜しみ、金閣造営の余材で仮堂を建て、地蔵菩薩を奉安した。ついで1589年、豊臣秀吉の命により、一条紙屋川の現在地に移り、今に至っている。
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観音堂 |
観音堂 |
(上)観音堂 祭られているのは慈覚大師作と伝えられる木製立像の十一面観音菩薩。 |
本堂 |
地蔵堂 |
(右上)地蔵堂 もとの本尊の地蔵菩薩を祭る。安産守護の地蔵で、俗に鍬形地蔵、木納屋の地蔵とも言う。後拝の二枚の扉は、もと北野天満宮にあった多宝塔の扉で、内面には閻魔天と火天の極彩色の絵が描かれている。霊元天皇(1663〜1687年)が定めた洛陽四十八ヵ所第12番の霊場。 |
境内 |
びんづるさん |
五色八重散椿 加藤清正が豊臣秀吉に献上したものを北野大茶会の時に当院をその一荘とした縁から、秀吉が当院に献木したもので、白、赤、ピンク、絞りなどに咲分け、花びらが一片一片散るのが特色。樹齢四百年の一世は、1983年(昭和58年)春に惜しくも枯れ、現在は樹齢約百二十年の二世が本堂前に咲いている。中庭には同じく樹齢約三十年余の二世が多数咲く。
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