大徳寺のご朱印
ご朱印

京都の神社・仏閣
大徳寺
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住所/〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺町53
TEL/075−491−0019
アクセス
★電車/JR「京都」駅より市バス「大徳寺前」下車 徒歩約5分
★車/名神「京都南」IC、「京都東」ICから約30分
駐車場/約50台 最初の1時間500円 以降30分毎100円
拝観料/本坊は非公開(10月第二日曜日他特別公開)
拝観時間/9:00〜16:00

総門
総門
勅使門
勅使門

臨済宗大徳寺派の大本山。山号は龍寶山(りゅうほうざん)
鎌倉末期1315年に大燈国師(だいとうこくし)宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が大徳という小庵を開創。後にこの小庵は花園・後醍醐両天皇の帰依を受け勅願所となり1326年の法堂完成と同時に現在の龍寶山(りゅうほうざん)大徳寺と命名された。()

本坊入口
本坊入口
庫裏
庫裡

応仁の乱で荒廃したが、「一休さん」として親しまれる47世住持の一休宗純が堺の豪商の保護を受け復興。その後、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提をとむらうために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極める。
勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。()

山内図
山内図
山門
山門
仏殿
仏殿

(左上)三門(山門) 重要文化財。大徳寺最古の建物の一つ。応仁の乱で焼失後、1526年一休禅師の参徒連歌師宗長が一階部分を寄進し、1589年に二階部分が千利休居士によって増築され、金毛閣と名づけられた。ここは利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休居士自決の原因となった話が有名。
山門とは龍寶山の門、三門とは三解脱門(空門・無相門・無作門)のことを言う。本瓦葺の唐様建築で、禅寺三門のうちでは、東福寺の三門に次いで古い。()

唐門〜パンフレットより(撮影禁止のため)
唐門〜パンフレットより(撮影禁止のため)
方丈〜パンフレットより(撮影禁止のため)
方丈〜パンフレットより(撮影禁止のため)

(左上)唐門(国宝) 方丈前庭にある。村上周防守が聚楽第の遺構を譲り受け、明治になって明智門があった現在の場所に移された。この唐門は彫刻や金具の豪華さ、豊富さに特徴があり、日光東照宮の日暮門の模型となっている。
(右上)方丈(国宝) 三門・仏殿・法堂などの伽藍が中国風なのに対し、方丈は一山住持の修業の場となっているが、大徳寺の方丈は特別に大燈国師の塔所雲門庵を中心とする。京都の豪商後藤益勝の寄進により再建。前庭は天祐和尚、東庭は小堀遠州の作庭で、特別名勝庭園である。()

法堂
法堂
境内
境内
修行専門道場(龍翔寺)
修行専門道場(龍翔寺)
修行専門道場(龍翔寺)
修行専門道場(龍翔寺)

三玄院
三玄院
石田三成墓地石碑
石田三成
墓地石碑
三玄院
三玄院

(上)三玄院 塔頭寺院。1589年、浅野幸長・石田三成・森忠政(蘭丸の弟)が春屋宗園(しゅんおくそうえん)(大宝円鑑国師)を開祖として創建。小堀遠州・古田織部・薮内剣仲・長谷川等伯などは、春屋に禅を学んだ人々である。沢庵・千宗旦らも修行をし、春屋・三成・忠政・剣仲・織部の墓が祀られている。