住所/〒605-0977 京都市東山区泉涌寺山内町35TEL/075−561−8781 アクセス ★電車/JR奈良線・京阪電車「東福寺」駅から徒歩10分 あるいは京都市バス「泉涌寺道」バス停から徒歩7分 ★車/名神「京都南」ICより約15分 あるいは「京都東」ICより約20分 または阪神高速京都線「鴨川西」出入口より約10分 駐車場/約5台 拝観料/500円(予約要) 拝観時間/9:00〜16:00
真言宗泉涌寺派。泉涌寺(せんにゅうじ)塔頭のひとつ。泉山七福神の毘沙門天奉祀。身寄りのない老人や貧しい人、親のない子どもを収容する福祉施設である悲田院は、難波京や平城京内に設けられ、平安京でも東西二ヶ所にあった。聖徳太子が隋にならい、大阪の四天王寺に四箇院(悲田院・敬田院・施薬院・療病院)の一つとして建てたのが日本での最初と言われる。()
寺院としての悲田院と平安京の悲田院との関係には不明なところもあるが、寺伝によると、鎌倉時代の1308年に無人如導(むにんにょどう)により安居院(あぐい)(上京区)に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺院として建立され、平安京の悲田院の名が引き継がれた。後花園天皇(在位1428〜1464年)は当寺を勅願寺とし、これより代々の住職は天皇の綸旨(りんじ)を賜り、紫衣参内(しえさんだい)が許された。また同天皇崩御の際には当院で葬儀が行われた。()
兵乱により衰微するが、1645年、如周(にょしゅう)恵公(けいこう)が高槻城主永井直清の帰依により、現在の場所に移し再興した。幕末までは高槻藩の庇護のもと大いに栄えた。本堂は再興時の建物で、本尊の阿弥陀如来立像のほか、快慶作の宝冠阿弥陀如来坐像が祀られ、襖絵は土佐光起・光成親子の作である。毘沙門堂の毘沙門天は「泉山七福神」の一つとして信仰を集めている。また、煎茶道「東仙流(とうせんりゅう)」の総司所として煎茶道の普及に努めている。()