土佐神社の御朱印
御朱印

高知の神社・仏閣
土佐神社
【土佐神社のサイトへ】

住所/〒781-8131 高知市一宮しなね2丁目16-1
TEL/088−845−1096
アクセス
★電車/JR土讃線「土佐一宮(とさいっく)」駅より徒歩約15分
★車/高知自動車道「高知」ICから約5分
駐車場/約50台(無料)
拝観料/無料
拝観時間/境内自由

土佐国一ノ宮石碑
土佐国一ノ宮石碑
礫(つぶて)石
礫(つぶて)石

土佐国総鎮守一ノ宮(しなね様)と称され、五世紀後半21代雄略天皇の御代に創建されたと伝えられる。境内東北方の(つぶて)石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられている。延喜の制が布告された平安時代、式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、940年に正一位の神階が授けられた。鎌倉時代初期には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされ、神宮寺、善楽寺と合わせて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称された。

鳥居
鳥居
鳥居神額
鳥居神額

室町時代には、武門の崇敬あつく、1570年長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代1601年には、山内一豊封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼が増築された。明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治4年には土佐神社と改称、社格を国幣中社に列せられた。1946年官国幣社制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされている。


輪抜祓所
輪抜祓所

御祭神は、味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)一言主神(ひとことぬしのかみ)。『日本書記』の天武天皇4(675)年3月2日の条に「土左大神、神刀一口を以て、天皇に進る」とあり、また朱鳥元(686)年8月13日の条に「秦忌寸石勝を遣わして、幣を土左大神に奉る」とあり、祭神は土佐大神であったが、『土佐国風土記』逸文には、「‥土左の高賀茂の大社あり、其の神のみ名を一言主尊と為す。其のみ祖は詳かならず。一説に日へらく、大穴六道尊のみ子、味鋤高彦根尊なりといへり。」とあり、祭神に変化がみられ、祭神を一言主神(ひとことぬしのかみ)味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)にしている。この二柱の祭神は、古来より賀茂氏により大和葛城の里にて厚く仰ぎ祀られる神であり、大和の賀茂氏または、その同族が土佐の国造に任ぜられたことなどより、此処に祀られたものと伝えられている。
味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)は、大国主神の子で、国土の開拓、農工商あらゆる産業繁栄の神であり、一言主神(ひとことぬしのかみ)は、和合協調の神として一言で物事が解決されるという特殊な神として伝えられている。

社務所
社務所
拝殿
拝殿

(右上と下)社殿(国重要文化財) 1570年、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が再建した建物。入母屋造りの前面に向拝を付けた本殿と、その前方の十字形をなす幣殿、拝殿、左右の翼、拝の出からなる。十字形の屋根は交差した部分が重層切妻で他は単層切妻である。幣殿を頭とし、尾に相当する拝の出を長くした十字形で、本殿に向かってとんぼが飛び込む形にみたてた入蜻蛉形式で、凱旋を報告する社という意味がある。

社殿
社殿
拝殿神額
拝殿神額

鼓楼
鼓楼
神明宮
神明宮
本殿
本殿

(左上)鼓楼(国重要文化財) 1649年、二代藩主山内忠義の建立。
(左下)楼門(神光門)(国重要文化財) 1631年、二代藩主山内忠義の建立。

楼門(神光門)
楼門(神光門)
西御前社
西御前社



HOME TOP BACK LINK