達谷西光寺の御朱印
達谷窟毘沙門堂 御朱印

達谷窟毘沙門堂
蝦蟆ヶ池辯天堂 御朱印

蝦蟆ヶ池辯天堂
姫待不動堂 御朱印

姫待不動堂

岩手の神社・仏閣
達谷西光寺(たっこくせいこうじ)
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住所/〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉北澤16
TEL/0191−46−4931
アクセス
★電車/JR東北本線「平泉」駅よりタクシーで約10分
★車/東北自動車道「一関」ICより約10分
      または「平泉前沢」ICより約20分
駐車場/約20台(無料)
拝観料/300円
拝観時間/ 4月1日から11月23日まで8:00〜17:00
     11月24日から3月31日まで8:00〜16:30

弁天堂・毘沙門堂
弁天堂・毘沙門堂

天台宗。山号は真鏡山。
東北三十六不動尊霊場第23番札所。()

一之鳥居
一之鳥居
金堂
金堂

約1200年前、悪路王(あくろおう)赤頭(あかがしら)高丸(たかまる)等の蝦夷(えぞ)がこの(いわや)(さい)を構え、良民を苦しめていた。そこで当時の人皇桓武天皇は、坂上田村麻呂を征夷大将軍に命じ蝦夷(えぞ)征伐の勅を下した。対する悪路王(あくろおう)等は達谷窟(たっこくのいわや)より三千余の賊徒(ぞくと)を率い駿河国清美関まで進んだが、大将軍が京を発した報せを聞くと武威を恐れ(いわや)に引き返し守りを固めた。
801年に大将軍は(いわや)に籠る蝦夷(えぞ)を激戦の末に打ち破り、悪路王(あくろおう)赤頭(あかがしら)高丸(たかまる)の首をはね、遂に蝦夷(えぞ)を平定した。()

二之鳥居
二之鳥居
三之鳥居
三之鳥居

大将軍は、戦勝は毘沙門天の御加護と感じ、その御礼に京都・清水寺の舞台を模して九間四面の精舎を建て、百八体の毘沙門天を祀り、国を鎮める祈願所として窟毘沙門堂と名付けた。802年には別当寺として達谷西光寺を創建し、奥眞(おうしん)上人を開基として東西三十余里、南北二十余里の広大な寺領を定めた。
その後、前九年・後三年の役には源頼義(よりよし)義家(よしいえ)が戦勝祈願のために寺領を寄進し、奥州藤原氏初代清衡(きよひら)、二代基衡(もとひら)は七堂伽藍を建立したと伝えられる。()

毘沙門堂
毘沙門堂
弁天堂
弁天堂

1189年に源頼朝が奥州合戦の帰路、毘沙門堂に参詣したことが吾妻鏡に記されている。
中世には七郡の太守葛西家の尊崇篤く、1490年の大火で焼失するが、直ちに再建された。戦国時代には東山の長坂家より別当が赴き、多くの衆徒を擁したが、天正の兵火で岩に護られた毘沙門堂を除き、塔堂楼門はことごとく焼失した。
1615年、伊達正宗により毘沙門堂は建て直され、その後は伊達家の祈願寺として寺領を寄進されてきた。()

鐘楼・閼伽堂・不動堂
鐘楼・閼伽堂・不動堂
御供所
御供所

1946年(昭和21年)には毘沙門堂は全焼し、1961年(昭和36年)に再建されている。内陣の奥に伊達家寄進の厨子を安置し、慈覚大師作と伝える本尊毘沙門天・吉祥天・善膩師童子(ぜんにしどうじ)を秘仏として納めている。()

不動堂
不動堂
岩面大仏
岩面大仏

(右上)岩面大仏 窟毘沙門堂西方の大磨崖仏は約33mにも及ぶ大岩壁に刻まれている。前九年後三年の役で亡くなった敵味方の諸霊を供養するために陸奥守源義家が馬上より弓張を以て彫り付けたと伝えられている。()



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