兵庫の神社・仏閣
教信寺
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住所/〒675-0012 兵庫県加古川市野口町野口465
TEL/079−422−7189(塔頭法泉院)
アクセス
★電車/JR神戸線「東加古川」駅より徒歩約20分
       または「加古川」駅より徒歩約30分
       あるいは神姫バス「野口」バス停下車 徒歩約3分
★車/第二神明道路「明石西」ICより約10分
    山陽自動車道「三木小野」IC、「加古川北」ICより約30分
駐車場/約10台(無料)
入山料/無料

山門
山門
山門扁額
山門扁額

天台宗。山号は念仏山。
通称、野口のねんぶったん。播州薬師霊場第8番札所。本尊は阿弥陀如来。()

本堂
本堂
本堂扁額
本堂扁額

平安時代初期、我が国における口称念仏専修で最初期の極楽往生者と知られる教信上人が836年に賀古(かこ)(うまや)の北辺に庵を結び、理想の仏道実践を当地で始めたが、866年に往生した遺跡寺院である。
その後、清和天皇の勅願により、行基が刻んだ阿弥陀仏を本尊として観念寺と称し、1126年に崇徳天皇は大原良忍上人を詔して念仏山教信寺と改めた。()

薬師堂
薬師堂
山王堂
山王堂

鎌倉時代、親鸞上人は「賀古の教信は親鸞が定なり」と敬慕し、一遍上人は遊業晩年に終焉の地に願うなど、鎌倉浄土佛教に多大な影響を与えた。
1323年、一遍上人の門弟湛阿(たんあ)が、広く念仏者を集めて7日間の念仏踊りを行った。これが野口大念仏の始まりといわれている。
戦国時代末期には、毛利勢と織田信長配下の羽柴秀吉との激戦の地となり、1578年には堂宇一棟残さず灰燼に帰す。江戸時代初期の1642年には現在の伽藍にまで復興するが、幕末の1840年に本堂を焼失した。1880年(明治13年)書写山圓教寺(女人堂の如意輪寺)にあった念仏堂を貰い受け本堂を再建した。()

開山堂
開山堂
開山堂扁額
開山堂扁額

(上)開山堂 本尊は教信上人頭部像。
866年、自らの死期を悟った教信は、妻と子に遺骸は庵の側に捨てて鳥獣に施してほしいと言い残して亡くなった。同じとき摂津国勝尾寺の僧勝如の夢に教信が現れ自らの死を告げた。不思議に思った勝如が弟子を加古川に走らせると、そこには頭部だけがきれいに残った教信の遺骸があった。これが現在教信寺に伝わる教信頭部像だと言われている。()

教信上人御廟所
教信上人御廟所
石造五輪塔
石造五輪塔




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