嚴島神社のご朱印帳とご朱印
ご朱印帳
嚴島神社 ご朱印

嚴島神社
豊国神社 ご朱印

豊国神社(境外末社)

広島の神社・仏閣
嚴島(いつくしま)神社
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住所/〒739-0588 広島県廿日市市宮島町1-1
TEL/0829−44−2020
アクセス
宮島口桟橋から宮島までフェリーで約10分
桟橋より徒歩約10分

宮島口桟橋までは
JR山陽本線「宮島口」駅下車 徒歩約5分
広島電鉄宮島線「広電宮島口」駅下車 徒歩すぐ
広島岩国道路「廿日市」ICより約15分

駐車場/なし
拝観料/300円
拝観時間/6:30〜17:00

石鳥居
石鳥居
参拝入口注連縄
参拝入口注連縄

御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の剣から生まれた女神である宗像(むなかた)三女神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)田心姫命(たごりひめのみこと)湍津姫命(たきつひめのみこと)
安芸国一宮。古くは「伊都岐島神社」とも記された。全国に約500社ある嚴島(いつくしま)神社の総本社。
国宝・国重要文化財。世界文化遺産に「嚴島(いつくしま)神社」として登録されている。日本三景の一つ。()

大鳥居と嚴島神社
大鳥居と嚴島神社

593年、佐伯鞍職(さえきくらもと)の創建と伝えられる。
その後、当社を篤く崇敬した平清盛が1168年に社殿を寝殿造とし、現在の規模に改築した。そして平家一門のみならず、1174年には後白河法皇の御幸、1180年3月と9月に高倉上皇の御幸があるなど、多くの皇族・貴族が参詣された。その後も室町時代には足利尊氏や義満、戦国時代の大内氏や毛利氏などからも崇拝された。()

(上)千畳閣・五重塔(下)左楽房・客神社・本殿
(上)千畳閣・五重塔(下)左楽房・客神社・本殿

平清盛が安芸守についていたとき、高野山の壇上伽藍にそびえる根本大塔の修理を命じられた。その修理が終わり高野山に登った際、ある老僧が現れ嚴島(いつくしま)神社を信仰すれば一門が繁栄すると予言されたことが厳島信仰の始まりであると「平家物語」は記している。また「古事談(こじだん)」では、高野大塔の造営中に高野山に登った折、ある僧から厳島に奉仕すべしと言われ、厳島に詣でたところ、太政大臣になるとの託宣を受け、その通りになったと伝えている。()

参拝入口
参拝入口
参拝出口
参拝出口

廻廊(かいろう) 国宝。御社殿は御本社(ごほんしゃ)(まろうど)神社、朝座屋(あさざや)、大国社を結ぶ廻廊(かいろう)や橋、舞台等から成り立ち、国宝または重要文化財の建物である。まず参拝入口から廻廊(かいろう)を進むが、この廻廊(かいろう)床板の間にはわずかなすき間が空いており、これは高潮時の波による浮力をやわらげたり、また床に上がった海水を抜くためである。先に進むと(まろうど)神社、御本社(ごほんしゃ)、大国社、天神社、能舞台そして出口に至る。廻廊(かいろう)内は入口から出口へ通り抜けとなっている。()

客神社
客神社
客神社本殿
客神社本殿

(上)(まろうど)神社 国宝。御本社(ごほんしゃ)廻廊(かいろう)で連接され檜皮葺の本殿と幣殿(へいでん)・拝殿・祓殿(はらいでん)からなる。当社の主な祭典は先ずこの御社で始まり、その後御本社(ごほんしゃ)で行われる。
御祭神は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)活津彦根命(いきつひこねのみこと)天穂日命(あめのほひのみこと)天津彦根命(あまつひこねのみこと)熊野櫞樟日命(くまのくすびのみこと)()

社殿
社殿

御本社 国宝。檜皮葺(ひわだぶき)で正面には緑色の菱格子戸(ひしこうしど)を建て込んだ本殿、これに続いて幣殿(へいでん)・拝殿・祓殿(はらいでん)があり、いずれも国宝建造物である。
拝殿内を見上げると化粧屋根裏が2つ見え、最上部の真の棟と、この両脇の母屋が棟の様に見えるところから「三棟造(みつむねづくり)」、「三棟拝殿」とも呼ばれる。()

高舞台
高舞台
能舞台
能舞台

(左上)高舞台(たかぶたい) 国宝。黒漆塗(うるしぬり)の基壇に朱漆塗(うるしぬり)の高欄があり、前後には素木(しらき)の階段がある。平清盛は大阪の四天王寺から舞楽(ぶがく)を当社に伝え、それが現在もこの舞台で舞われている。
(右上)能舞台 重要文化財。当社の能は、厳島合戦の後に毛利元就が京都から観世太夫を招いて神前に奉納したのが始まりで、現在の能舞台は1680年に浅野綱長が再建したもの。()

鏡池(干潮)
鏡池(干潮)
鏡池(満潮)
鏡池(満潮)

(上下)鏡池 境内に同じような池が三つあり、引き潮の時に地下から真水が湧き溢れた水が川を作り海に流れ込む。潮が満ちると川の水と海の水が混ざって一つになる。神徒の世界では、水の霊力、潮水の霊力によって、けがれ、罪が清められる神聖な場所と考えられている。()

鏡池(干潮)
鏡池(干潮)
天神社
天神社

(右上)天神社 御祭神は菅原道真公。菅公聖蹟(かんこうせいせき)二十五拝第20番。
1556年に毛利隆元によって寄進された。能舞台と同じく素木(丹が塗っていない)なのは、社殿群の中で新しい建物で時代が下がるためである。
古くは連歌堂(れんがどう)といい、明治時代の初めまで毎月連歌の会が催されていたという。()

反橋
反橋
宝物館
宝物館

(左上)反橋(そりばし) 重要文化財。御鎮座祭など当社の重要な祭事にあたって、勅使あるいは上卿(しょうけい)職が参向した折に、橋の中央に階段のようなものを設けて渡られた。別名「勅使橋」ともいう。()

社殿側神額
社殿側神額
大鳥居
大鳥居
沖側神額
沖側神額

(上)大鳥居 重要文化財。現在のものは平安時代から数えて8代目にあたり、1875年(明治8年)7月再建。高さ16m、棟の長さ24m、両部鳥居で主柱(おもばしら)は社殿から向かって右側が宮崎県、左側が香川県の楠を使い、全体に丹塗(にぬり)を施している。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で袖柱も同様。額面は有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王の御親筆で、沖側が「嚴島(いつくしま)神社」、社殿側が「伊都岐島神社」と書かれている。()

(左上)豊国神社
(左上)豊国神社
豊国神社
豊国神社

(上下)豊国(ほうこく)神社 重要文化財。嚴島(いつくしま)神社境外末社。
開門時間8:30〜16:30。拝観料100円。
豊臣秀吉が戦没将士を慰霊するため、1587年に発願し、安国寺恵瓊に命じ建立した本瓦葺入母屋造の大経堂である。秀吉逝去後は、天井の板張りや建物の外構など完成を見ないまま現在に至る。
その広さから千畳閣(せんじょうかく)と呼ばれている。明治の廃仏毀釈で閣内の仏像は大願寺に移され、1872年(明治5年)に豊臣秀吉と加藤清正が祀られ豊国神社と改称した。()

豊国神社(千畳閣)
豊国神社(千畳閣)
豊国神社(千畳閣)
豊国神社(千畳閣)

大鳥居
大鳥居
五重塔
五重塔
多宝塔
多宝塔

(中央上)五重塔 重要文化財。1407年の建立。総高約27m、丹塗で屋根は檜皮葺(ひわだぶき)、和様と唐様の折衷様式である。この塔の心柱は下まで達しておらず二層目で止まっている。
(右上)多宝塔 重要文化財。1523年の創建。僧周歓(しゅうかん)が手がけた高さ約16mの塔は純和風様式を基調としつつ、天竺様や唐様の手法を部分的に取り入れている。1555年の厳島合戦の折、この一帯が陶軍の最初の本陣になったといわれている。()

清盛神社
清盛神社
荒胡子神社
荒胡子神社

(左上)清盛神社 厳島神社境外末社。
平清盛の遺徳をたたえ、霊を慰めるために1954年(昭和29年)に建立された。西の松原と呼ばれる突堤にある。()

三翁神社
三翁神社
四宮神社
四宮神社