高山別院照蓮寺の御朱印
御朱印

岐阜の神社・仏閣
高山別院照蓮寺(しょうれんじ)
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住所/〒506-0857 岐阜県高山市鉄砲町6
TEL/0577−32−0688
アクセス
★電車/JR高山本線「高山」駅から徒歩約15分
★車/中央自動車道「中津川」ICより約2時間10分(103km)
   長野自動車道「松本」ICより約1時間40分(89km)
   東海北陸自動車道「高山西」ICより約20分
        または「高山」ICより約20分
   北陸自動車道「富山」ICより約1時間30分(89km)
駐車場/約40台(800円/4時間 6:30〜17:00)
境内自由

山門
山門
本堂
本堂

東本願寺が本山の真宗大谷派。山号は光曜山(こうようざん)
起源は鎌倉時代まで遡り、開基は親鸞聖人の弟子嘉念坊(かねんぼう)善俊(ぜんしゅん)善俊(ぜんしゅん)は後鳥羽上皇の孫とも皇子ともいわれ、伊豆の三島で関東より上洛途中の親鸞聖人の門弟となったと伝えられる。当初、善俊(ぜんしゅん)は白川郷鳩ヶ谷(はとがや)(大野郡白川村)に、その後、同郷飯島(いいじま)に専修念仏の道場を構え正蓮寺と称した。
次第相承して室町時代、第九世明教(みょうきょう)の代になり白川郷に真宗門徒が増えると、脅威を抱いた在地の土豪内ヶ島(うちがしま)氏の焼き討ちに堂は焼失し一時断絶した。その遺子十世明心(みょうしん)は本願寺八世蓮如(れんにょ)上人、九世実如(じつにょ)上人に帰依し、1504年白川郷中野(大野郡荘川村)に本堂を再建し、光曜山(こうようざん)照蓮寺(しょうれんじ)と改称した。()

石碑
石碑
参道
参道

1585年、金森長近は豊臣秀吉の命を受けて飛騨に侵攻した。長近は照蓮寺との協調政策をとり、1588年、十三世明了(みょうりょう)(等安)を講じて高山の現在地に寺地を与え、堂宇を建立した。以後、照蓮寺は藩主金森家から養子を迎えたり、東本願寺十三世宣如(せんにょ)上人の六女佐奈姫(さなひめ)の入輿もあるなど、触頭寺院として末寺七十ヶ寺余を擁する大寺であった。
17世紀末、金森氏が出羽へ移封され飛騨は天領となったが、寺領は従前のとおり安堵された。しかしまもなく照蓮寺と末寺に軋轢が生じ、1703年、十七世一乗(いちじょう)は東本願寺に献上し、以来本山の掛所「高山御坊」となった。明治以降は真宗大谷派高山別院光曜山(こうようざん)照蓮寺(しょうれんじ)と公称している。()



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