崇福寺のご朱印
ご朱印

岐阜の神社・仏閣
崇福寺
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住所/〒502-0817 岐阜市長良福光2403-1
TEL/058−231−2613
アクセス
★電車/JR「岐阜」駅、あるいは名鉄「新岐阜」駅から
       岐阜バス「国際会議場前」あるいは「国際会議場北口」下車 徒歩約5分
★車/東海北陸自動車道「岐阜各務原」ICより約20分
駐車場/12台(無料)
拝観料/200円
拝観時間/9:00〜17:00(3〜10月)
       9:00〜16:30(11〜2月)

織田信長公霊廟所石碑
織田信長公霊廟所石碑
山門
山門
寺号石碑
寺号石碑

臨済宗妙心寺派。山号は神護山。
美濃西国三十三観音霊場14番札所。織田家菩提所。有栖川宮家祈願所。
1469年美濃守土岐成頼とその家臣斎藤長弘(利安)が建立。開山は独秀乾才禅師。
その後、1567年織田信長が美濃に入ると、まず禁制を出して、菩提所として特別保護をした。()

山門
山門
山門内石庭
山門内石庭

独秀乾才禅師は崇福寺住持の後、大徳寺第66世となり、妙心寺や瑞龍寺の住職にもなった。二世は仁岫宋寿で、後に妙心寺27世となり、土岐政房に請せられ、南泉寺の開山にもなった。
三世は快川紹喜。61歳まで崇福寺に住し、その後、武田信玄の招請により慧林寺に住した。武田氏滅亡後、織田信長の甲州攻めの際、織田信忠に慧林寺の山門で衆僧百余名とともに焼き殺された。その死に際に「安禅は必ずしも山水をもちいず、心頭を滅却すれば、火自ずから涼し」という名言を吐いたことはあまりにも有名である。()

大方玄関
大方玄関
鐘楼
鐘楼

(右上)稲葉一鉄寄贈の梵鐘 西美濃の豪族、稲葉通貞の末子で二世仁岫宋寿のもとで修行していた。しかし1525年牧田の戦いで父子6人が討死したので、11歳のとき還俗し、家を継ぎ土岐頼芸に仕えた。土岐氏滅亡後、斎藤氏に仕え、曽根城(大垣市)を居城とし、西美濃三人衆(稲葉一鉄、氏家卜全、安藤守就)の一人として活躍。その後、信長、秀吉などにも仕えた。()

中門
中門
土塀
土塀

関白一条兼良寄贈の中門・土塀 利安の兄、利藤は一条兼良が美濃に下向する度歓待し、その嗣子利国は兼良の娘を室とした。この室が後の利貞尼であり、大本山妙心寺の寺域のかなりの部分を寄進している。法泉寺でなくなり、二世仁岫宋寿和尚が導師をつとめている。()

石碑
石碑
位牌堂
位牌堂

織田信長公父子廟 本堂裏にあり、墓の高さは139cm、幅39cm、厚さ30cm、位牌形の石碑で縦に両分して、父子の法名を左右に並べて刻んである。
墓地の右側には位牌堂があり、土壇の上に4m四方の格子塀に囲まれて、宝形胴葺屋根木造彩色の小堂に父子の位牌が安置してある。
位牌は1582年10月15日京都紫野大徳寺で行われた葬儀で使われたものと伝えられている。()

本堂
本堂
本堂前庭 石庭
本堂前庭 石庭