鎮国寺の御朱印と御影
九州八十八ヶ所百八霊場 御朱印(本堂)

九州八十八ヶ所百八霊場
(本 堂)
九州八十八ヶ所百八霊場 御影(本堂)

九州八十八ヶ所百八霊場
御 影(本 堂)
九州八十八ヶ所百八霊場 御朱印(奥の院)

九州八十八ヶ所百八霊場
(奥の院)
九州八十八ヶ所百八霊場 御影(奥の院)

九州八十八ヶ所百八霊場
御 影(奥の院)

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鎮国寺(ちんこくじ)
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住所/〒811-3506 福岡県宗像市吉田966
TEL/0940−62−0111
アクセス
★電車/JR鹿児島本線「東郷」駅から
   神湊波止場行きバス(宗像大社経由)で「宗像大社前」下車 徒歩約20分
★車/九州自動車道「若宮」ICから約25分、「古賀」ICから約30分
駐車場/約150台(無料)
拝観料/無料
納経時間/9:00〜17:00(境内自由)

吽形仁王像
吽形仁王像
阿形仁王像
阿形仁王像
庫裡・新書院・護摩堂・本堂
庫裡・新書院・護摩堂・本堂

真言宗御室派別格本山。山号は屏風山。本尊は胎蔵大日如来座像。
九州八十八ヶ所百八霊場第88番札所、第108番札所(奥の院)、九州三十六不動霊場第34番札所、九州西国霊場第31番札所。()

参道石段(中央遠くに山門)
参道石段(中央遠くに山門)
境内風景
境内風景

弘法大師空海は第16次遣唐使船で海を渡る際、大暴風雨に遭遇した。その時、海の守護神である宗像大神をはじめ諸仏菩薩に祈ったところ、波間から不動明王が現れ、荒れ狂う風波を静めたという。唐に渡り、真言の密法を授かった弘法大師空海は806年に帰朝後、海上交通の神として信仰されていた宗像大社に礼拝したと伝えられる。宗像大社を訪れた空海は、近くの屏風山に瑞雲が棚引くのを見た。そこの岩窟で修法を始めたところ、「この地こそは鎮護国家の根本道場たるべき霊地」とのお告げを受けたので、鎮国寺が創建されたという。嵯峨天皇の勅願所になり、大いに隆盛する。()

大師堂
大師堂
ボケ封じ観音・文殊堂・手水舎
ボケ封じ観音・文殊堂・手水舎

その後、1263年に宗像大社大宮司長氏(ながうじ)が大檀那、皇鑒(こうがん)阿闍梨が中興開山となり神宮寺として中興された。永禄年間(1558〜1570年)の兵火により焼失、慶安年間(1648〜1652年)高野山の昌伝が来山して、藩主黒田忠之とともに再興した。明治の神仏分離によって衰微し荒廃したが、1948年(昭和23年)に立部瑞祐大僧正が入山して、復興されている。()

護摩堂・本堂
護摩堂・本堂
本堂
本堂

護摩堂 入母屋造りで、1958年(昭和33年)に建立。安置する不動明王立像は像高93.3cm、藤原時代の作で国指定重要文化財である。波切り不動と呼ばれ、弘法大師が入唐の途中、暴風雨に遭ったとき、波を静めたという。九州三十六不動霊場札所本尊である。
本堂 入母屋造りで、1650年に藩主黒田忠之の再建、五仏堂とも呼ばれている。建立当時は瓦葺きであったが、のちに茅葺きになり、1979年(昭和54年)の解体修理のときに銅板葺きとなった。
内陣に5体の尊像が並ぶ。右から如意輪観音、釈迦如来、大日如来、薬師如来、阿弥陀如来となる。いずれも檜造りの坐像で、南北朝時代初期の作、福岡県指定の文化財である。
中央の3体は弘法大師の作と伝えられ、宗像大神の本地仏(神様の仏様としての姿)である。大日如来は沖津宮(おきつぐう)田心姫命(たごりひめのみこと)で九州八十八ヶ所百八霊場札所本尊。釈迦如来は中津宮(なかつぐう)湍津姫命(たきつひめのみこと)、薬師如来は辺津宮(へつぐう)市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)があてられる。如意輪観音は伝教大師の作とされ、織幡(おりはた)明神の本地仏で九州西国霊場札所本尊。阿弥陀如来は許斐(このみ)権現の本地仏で、定朝の作と伝えられる。()

奥の院山門(割拝殿)
奥の院山門(割拝殿)
奥の院不動堂
奥の院不動堂

(上)奥の院 弘法大師空海が修法した岩窟の御前に不動堂が建てられ、護摩壇が設けられている。中央には石造不動明王立像、右奥壁に線刻釈迦如来石仏が安置されており、毎月27日には護摩供が厳修されている。九州八十八ヶ所百八霊場第108番札所。()

奥の院参道入口
奥の院参道入口
参道石段
参道石段
梵字岩
梵字岩




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