赤間神宮の御朱印
御朱印

山口の神社・仏閣
赤間(あかま)神宮
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住所/〒750-0003 山口県下関市阿弥陀寺町4-1
TEL/083−231−4138
アクセス
★電車/JR山陽本線「下関」駅よりバスで「赤間神宮前」下車すぐ
★車/中国自動車道「下関」ICから約10分
駐車場/約60台(無料)
拝観料/無料  境内自由

正面鳥居
正面鳥居
太鼓楼・水天門
太鼓楼・水天門

御祭神は安徳天皇。
1185年3月24日、源平最後の合戦である壇ノ浦の戦いがあり、栄華を誇った平家はついに敗北し、武将や女官達は海に身を投じた。その時にわずか八歳の安徳天皇も二位尼時子に抱かれ入水崩御した。
朝廷はその安徳天皇をお慰めするために、1191年に長門国にその霊廟を建てるよう勅を発令し、御陵上に御影堂を建立、勅願寺とした。そして阿弥陀寺と号し浄土宗を経て真言宗の寺となった。
明治維新の神仏分離令により阿弥陀寺は廃され、御影堂は天皇社と称し、1875年(明治8年)官幣中社赤間宮が創建された。その後の1940年(昭和15年)に官幣大社に昇格、赤間神宮と改称され社殿も整えられた。
1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の戦禍を受け本殿以下すべて焼失したが復興し、1985年(昭和60年)に御祭神八百年式年大祭が催された。()

拝殿
拝殿
拝殿神額
拝殿神額

安徳天皇の命日は旧暦3月24日で、明治改暦に際し新暦5月2日と定められた。御陵前祭はこの日に安徳天皇阿弥陀寺陵で執り行われ、午後には赤間神宮にて先帝祭前日祭・平家一門追悼祭が斎行され、全国平家会の参列がある。()

耳なし芳一堂
耳なし芳一堂
七盛塚
七盛塚

(左上)耳なし芳一堂 耳なし芳一の話は阿弥陀寺(今の赤間神宮)に伝わる説話で、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が英訳し「怪談」に掲載したことで有名になる。
⇒ 耳なし芳一の話
(右上)七盛塚 平家塚とも呼ばれ壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門の墓。7基ずつ2列に計14基の墓が並ぶ。
前列左より:平教盛(平忠盛の四男)、平知盛(平清盛の四男)、平経盛(平忠盛の三男)、平教経(平教盛の次男)、平資盛(平重盛の次男)、平清経(平重盛の三男)、平有盛(平重盛の四男)。
後列左より:平時子(平清盛の正室)、平忠房(平重盛の六男)、平盛嗣(清盛に仕えた平盛俊の次男)、藤原景俊(清盛・宗盛に仕えた藤原景家の子)、藤原景経(清盛・宗盛に仕えた藤原景家の子)、藤原忠光(藤原忠清の子・平景清の兄)、平家長(忠盛・清盛に仕えた平家貞の子)。()



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