千躰三宝大荒神王のご尊像は天竺(印度)の毘首羯摩の作と伝えられ、大日如来、文珠菩薩、不動明王の垂迹(仏菩薩が人々を救うため仮に姿をあらわすこと)であり三面六臂の大いに怒られた形相を現す悪魔降伏の護法神の主といわれる印度の神である。その脇侍として、飢渇神=飢えを救い衣食住の不足のないよう守る神、障碍神=一切の障礙を除き愛敬を授ける神、貪欲神=不正の財をむさぼる者を罰し正直の人に福徳を与える神、以上の神々が安置されている。
三宝荒神を祀れば心願成就、開運出世諸災消徐、台所で一番大切な火と水を守る神様ゆえ台所に祀れば一切の災難を除き衣食住に不自由しないとされる。 当寺に安置されている荒神王は、1637年島原の乱に鍋島甲斐守直澄が18才で出陣した際、肥後天草の荒神ケ原にあった荒神王の祠に必勝祈願のお参りをして出馬したところ、甲斐守の先頭に必ず千余の神兵が現れ鎮定することができた。以後甲斐守はこの尊像を千躰三宝大荒神王とあがめ奉ったものを1770年に当寺に勧請したものである。それ以来あらゆる階層の人々のお参りが多くなり、春秋の大祭は江戸年中行事の一つにもなった。特に勧請以来江戸や品川の度重なる大火がこの寺の近くにおよぶも不思議と当寺を避け、この奇瑞は江戸町民の信仰を一層あつくし、鎮火防火の神ともなっている。
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