海雲寺の御朱印
江戸三十三観音霊場 御朱印

江戸三十三観音霊場

東京の神社・仏閣
海雲寺
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住所/〒140-0004 東京都品川区南品川3-5-21
TEL/03−3471−0418
アクセス
★電車/京浜急行「青物横丁」駅下車 徒歩約5分
★車/首都高湾岸線「大井」ランプより約6分、「大井南」ランプより約11分
   首都高羽田線「勝島」ランプより約5分
駐車場/境内可(無料)
拝観料/無料 境内自由

山門
山門
本堂
本堂

曹洞宗。山号は龍吟(りゅうぎん)山。江戸三十三観音霊場番外札所。
1251年僧不山(ふざん)によって開かれる。はじめは庵瑞林(あんずいりん)といい、海晏寺(かいあんじ)境内にあって臨済宗であった。1596年海晏寺五世分外祖耕大和尚を開山とし曹洞宗に改められ、1661年海雲寺になる。ご本尊十一面観世音菩薩は創立当時のもので、仏師春日の作といわれる。また鎮守として千躰三宝大荒神王(せんたいさんぽうだいこうじんのう)を祀る。()

千躰荒神堂
千躰荒神堂
鐘楼と烏琵沙魔明王堂
鐘楼と烏琵沙魔明王堂

千躰三宝大荒神王(せんたいさんぽうだいこうじんのう)のご尊像は天竺(印度)の毘首羯摩(びしゅかつま)の作と伝えられ、大日如来、文珠菩薩、不動明王の垂迹(すいじゃく)(仏菩薩が人々を救うため仮に姿をあらわすこと)であり三面六臂(さんめんろっぴ)の大いに怒られた形相を現す悪魔降伏の護法神の主といわれる印度の神である。その脇侍(おまえだち)として、飢渇神(きかつじん)=飢えを救い衣食住の不足のないよう守る神、障碍神(しょうげじん)=一切の障礙(しょうげ)を除き愛敬を授ける神、貪欲神(とんよくじん)=不正の財をむさぼる者を罰し正直の人に福徳を与える神、以上の神々が安置されている。
三宝荒神を祀れば心願成就、開運出世諸災消徐、台所で一番大切な火と水を守る神様ゆえ台所に祀れば一切の災難を除き衣食住に不自由しないとされる。
当寺に安置されている荒神王は、1637年島原の乱に鍋島甲斐守直澄が18才で出陣した際、肥後天草の荒神ケ原にあった荒神王の祠に必勝祈願のお参りをして出馬したところ、甲斐守の先頭に必ず千余の神兵が現れ鎮定することができた。以後甲斐守はこの尊像を千躰三宝大荒神王(せんたいさんぽうだいこうじんのう)とあがめ奉ったものを1770年に当寺に勧請したものである。それ以来あらゆる階層の人々のお参りが多くなり、春秋の大祭は江戸年中行事の一つにもなった。特に勧請以来江戸や品川の度重なる大火がこの寺の近くにおよぶも不思議と当寺を避け、この奇瑞は江戸町民の信仰を一層あつくし、鎮火防火の神ともなっている。()

(奥)左:千躰荒神堂、右:本堂、(手前)平蔵地蔵
(奥)左:千躰荒神堂、右:本堂、(手前)平蔵地蔵
平蔵地蔵
平蔵地蔵

(右上)平蔵地蔵 江戸末期の頃、鈴ヶ森処刑場で番人をしていた乞食の中に正直な乞食がいて、大金を拾い落とし主を探して届けた。そのために仲間の乞食から、山分けすれば乞食も廃業が出来たのにと小屋を追い出されたため凍死した。これを聞いた落とし主が手厚く葬り、地蔵尊を立て供養した。()



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