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住所/〒529-1501 滋賀県東近江市石塔町860
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![]() 入口・寺号碑 |
![]() 山門 |
天台宗。山号は |
![]() 山門扁額 |
![]() 本堂 |
釈尊の滅後、インドの阿育王(アショーカ王)が仏法興隆のため八万四千の塔を造り、仏舎利を納めて阿育王塔として世界中に配ったといわれる。日本には阿育王塔が二基届いた。一基は琵琶湖の湖底に、一基は当山中に埋没していたという。時代を経て、1003年比叡山の学僧・寂照法師が、入宋留学し清涼山にて修行中、琵琶湖の東辺に阿育王塔が埋もれることを宋僧より聞き、手紙に記して日本に送った。その後、播州の増井寺僧義観がこの手紙を入手し、ときの一条天皇に奏上した。帝の勅命により、この辺りの探索が行われ、野谷光盛なる武士が山頂に不思議な塚を発見、勅使の平恒昌と共に発掘したところ土中より大塔を発見した。一条天皇は大変喜び、七堂伽藍を新たに建立し、1006年に寺号を阿育王山石塔寺と改めた。 |
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![]() 鐘楼 |
![]() 阿育王塔 |
![]() 石塔石仏群 |
![]() 八十八ヶ所 |
鎌倉時代になると、自身の極楽往生、あるいは先祖の菩提を弔うために、仏舎利塔である阿育王塔の周りの霊域に、五輪塔や石仏が奉納されるようになり、その後の数百年で多くの数になった。織田信長の元亀の兵火等により、伽藍等は焼失し全山荒廃したが、江戸時代初期に天海大僧正の弟子行賢によって現在の寺領の部分が復興されている。そして近代に至っても奉献は引き継がれ、整備も進んでいる。 |
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![]() 山上への石段 |
![]() 山上への石段 |
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