武雄神社の御朱印
見開き御朱印

見開き御朱印
3・4月の期間限定

3・4月の期間限定
武雄の流鏑馬の見開き御朱印 10・11月の期間限定

武雄の流鏑馬の見開き御朱印 10・11月の期間限定

佐賀の神社・仏閣
武雄神社(たけおじんじゃ)
【武雄神社のサイトへ】

住所/〒843-0022 佐賀県武雄市武雄町大字武雄5335
TEL/0954−22−2976
アクセス
★電車/JR佐世保線「武雄温泉」駅からバスで「武雄高校前」下車 徒歩約3分
       あるいは徒歩で約25分
★車/長崎自動車道「武雄北方」ICから約10分
   西九州自動車道「武雄南」ICから約15分
駐車場/約30台(無料)
拝観料/無料

社号碑
社号碑
二ノ鳥居
二ノ鳥居

主祭神に武内宿禰(たけうちのすくね)、相殿に武雄心命(たけおこころのみこと)、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀る。
『武雄社本紀』によると、神功皇后が三韓征伐の帰途、武雄に兵船を止め、それが御船山に化したとある。これにより同行していた住吉神と武内宿禰が御船山の南嶽(船の艫)に鎮座し武雄社が創祀された。(⇒境内説明板()

心字の池
心字の池
肥前鳥居(三ノ鳥居)
肥前鳥居(三ノ鳥居)

その後、735年初代宮司伴行頼(とものゆきより)に『吾は武内大臣である。艫には住吉神がおられ、艫嶽に祀られていても畏れ多く落着かないので、幸い軸嶽に自分を祀るならば、末永くこの地に幸福が訪れるであろう。』との神託があった。行頼は太宰府を通じて朝廷に奏請し、武内宿禰(たけうちのすくね)を主神に、武雄心命(たけおこころのみこと)、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を合祀し、北麓に奉遷し武雄宮が創建されたと記されている。()

拝殿・茅の輪
拝殿・茅の輪
社号碑と桜
社号碑と桜

拝殿
拝殿

元永年中(1118〜20年頃)武雄2代領主後藤資茂(すけしげ)が、朝夕秀麗な御船山の麓に鎮座する武雄神社を望み、築城の適地と思い、朝廷に奏請して当社を舳嶽東麓(現在地)に遷した。
1185年の壇ノ浦の戦いでは、源頼朝が当社に密使を使わせ平家追討祈願をした。平家を滅ぼした頼朝は、勝利を武雄神社の神徳によるものと感じ、後鳥羽天皇の勅使と名代の御家人を赴かせ『御教書』を送り深謝した。この参詣を歓迎して、武雄4代領主の後藤宗明が流鏑馬を奉納し、以来、氏子の手によって『武雄の流鏑馬』は、800年以上もの間、連綿と継承されている。 ()

拝殿
拝殿
本殿・幣殿・拝殿
本殿・幣殿・拝殿

大楠参道鳥居・城山稲荷神社・塩釜神社
大楠参道鳥居・城山稲荷神社・塩釜神社
絵馬掛け所
絵馬掛け所

(左上)城山稲荷神社 城山は御船山の別名であり、1858年9月に勧請し奉斎したとされる。倉稲魂神・猿田彦命・大宮女命の三神に摂社の田中大神・四大神の二神を加え稲荷五社大明神と称し、殖産興業の守護神として祀られている。
塩釜神社 第28代領主鍋島茂義公の時に、公は西洋文化の吸収に力を入れたが、そのために夷狄としての謗りを憂慮して、国土平定鎮護の塩釜社を1837年6月に宮城県塩釜市の総本社に勧請し奉斎したのであろうといわれている。()

大楠参道鳥居神額
大楠参道鳥居神額
もみじ通り
もみじ通り

御神木(武雄の大楠)
御神木(武雄の大楠)
夫婦檜(むすびの檜)
夫婦檜(むすびの檜)

(左上)御神木(武雄の大楠) 武雄市天然記念物。樹齢3000年。根回り26m、高さ27m、根元の空洞の広さは12畳敷で中に天神様を祀る。平成元年の環境庁による全国巨樹・巨木林調査で、全国第6位の巨木であると発表された。県内でも第2位の巨木であり、武雄を代表する樹のひとつである。
(右上)夫婦檜(むすびの檜) 当社の御祭神である仲哀天皇・神功皇后の御神威によって、2本の檜が根元で結ばれ、樹の中ほどで再び枝が合着したといわれている。仲睦まじく立っているその姿から根元は夫婦和合を、つながった枝は様々な縁をつなぐ縁結びの象徴として信仰を集めている。()




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