住所/〒543‐0012 大阪市天王寺区空堀町10-19TEL/06−6768−6366 アクセス★電車/JR環状線、または地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造」駅下車 徒歩約10分 駐車場/なし拝観料/無料
高野山真言宗。摂津国八十八ヶ所霊場第11番札所。正しくは、如意山甘露院どんどろ大師善福寺という。江戸時代1752年に高野山岩本院法資法道が、1615年の大阪夏の陣の戦死者の霊を弔うために弘法大師を本尊として開創されたと伝わる。創建当初は鏡如庵大師堂と称した。 その後1834年、徳川四天王の一人であった大老土井大炊頭(どいおおいのかみ)利勝の孫の土井大炊頭(どいおおいのかみ)利位(としつら)が大阪城代として赴任、近くの玉造に居を構え、当庵の弘法大師に深く帰依された。以来「土井殿のお大師様」と呼ぶようになり、それがいつしか転訛し「どんどろ大師」となったのである。()
1873年(明治6年)の廃仏毀釈で一時廃庵となり、1879年(明治12年)鏡如寺として再建したが、寺運はふるわなかった。その後、三阪房野女の篤志によって寺地を回復し、1909年(明治42年)には摂津国能勢郡木代(大阪府豊能町)にあった善福寺を移転改築し、どんどろ大師善福寺と改称した。善福寺は778年開成(かいじょう)皇子の開基で、本尊・薬師如来、脇侍に日光・月光の両菩薩と十二神将を安置した。広大な七堂伽藍、多くの僧坊を有する古刹であったが、明治時代になると寺運は衰微し、1909年(明治42年)鏡如寺のあった地に本尊とともに移転し現在に至る。当地は浪速の名所の一つとして、歌舞伎・浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」のどんどろ大師門前の場に描かれ、お弓・お鶴母子の再開の場として有名である。()