住所/〒530-0047 大阪市北区西天満5丁目4-17TEL/06−6311−8626 アクセス★電車/地下鉄谷町線・堺筋線「南森町」駅 またはJR東西線「大阪天満宮」駅下車 徒歩約3分 ★車/阪神高速環状線「北浜」出口 または守口線「扇町」出口よりすぐ 駐車場/なし拝観料/無料拝観時間/6:00〜20:00
ご祭神は蛭児(蛭子)大神(ひるこ(ひるこ)のおおかみ)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、天太玉命(あめのふとだまのみこと)。正しくは堀川神社。 欽明天皇の御代(539〜571)に止美連吉雄(とみのむらじよしお)が蛭子大神の神託を受け堀江で玉を得て、これを御霊代(みたましろ)に蛭子大神を富島に祀り、瓊見社(たまみのやしろ)・止美社(とみのやしろ)と名付けたのが創祀と伝えられる。651年、少彦名命(すくなひこなのみこと)(淡島明神)、また703年、天太玉命(あめのふとだまのみこと)を相殿に祀る。()
後に平治の乱(1159年)を避け、丹波国山家(やまが)に動座したが、文和年間(1352〜1355年)現在地に遷座再興した。以来、蛭子社・恵美須社・堀川戎社と呼ばれ信仰が厚く、江戸時代中期からは十日戎で多くの参拝者が賑わった。1907年(明治40年)近隣数社を合併、堀川神社となり村社に列した。1945年(昭和20年)の第二次世界大戦で社殿を全焼したが、順次復興し、1963年(昭和38年)現在の本殿を再建した。()
(上)榎木神社(地車稲荷神社) ご祭神は句句廼知神(くくぬちのかみ)、宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)。1598年に掘られた天満堀川の堀止めの横に榎の大木があり、その根元に木の神・句句廼知神(くくぬちのかみ)を祀る祠があった。1839年、その地に本殿・拝殿が造営され、同時に堀川戎神社末社の稲生(いなり)神社の別魂(宇賀御魂神(うかのみたまのかみ))を合祀し、稲生神社別魂榎木神社として祀られるようになった。 1907年(明治40年)神社合祀によって堀川戎神社と合併し境内に移転したが、1945年(昭和20年)戦災のため焼失。1958年(昭和33年)境内の現在地に新たに地車型の本殿を再建した。当社の神使は狐ではなく狸という。これは昔、榎の大木に吉兵衛という老狸が棲み、毎晩地車囃子の真似をして、近所の人達を驚かせていたという。しかし近所の人達も親しみを持ち、老狸の死後にこの榎の根元に地車の祠を作り祀ったという。()