九州四十九院薬師霊場 |
【正平寺のサイトへ】 | |
---|---|
住所/〒871-0411 大分県中津市耶馬溪町中畑1419 |
霊場札 |
本堂 |
霊場札 |
天台宗。山号は |
薬師如来石像 |
本堂・霊場碑 |
587年釈正覚上人が、初め犬ヶ岳に長福寺を創立し、その後寺を当山に移し一寺を建立したのが始まりと伝わる。752年に勅願所と定められ、以来山を「桧原山」、寺を「正平寺」と称するようになった。969年に大講堂が建立され、それ以来十二坊の精舎は国府の所管するところとなり、鎮護国家の祈願道場として、荘厳完備し豊前山岳仏教の修験霊場として英彦山、求菩提山と共に隆盛をきわめ、盛時二十四坊を有し郡民崇敬の篤い山であった。 |
本堂扁額 |
本堂内陣 |
もとは大字中畑、大字福土の二村が寺領であったが、黒田氏中津城主の時(1587年)米百石を附して二村の所領を没収された。黒田氏以来、細川、小笠原氏を経て、奥平氏に至り深く信仰され、田畑山林寄附米等を増加し山上における全ての堂宇の営繕を負担され、奥平富之進昌高氏は1787年見事な上宮本堂を建立した。
|
|
水子地蔵堂 |
石像群 |
鐘楼 |
石造梵字鳥居 |
(右上)石造梵字鳥居 県指定有形文化財(2003年3月指定)。 |
耶馬渓新四国第77番霊場 |
耶馬渓新四国第77番霊場 |
耶馬渓新四国八十八ヶ所霊場 耶馬渓四国八十八ヶ所霊場は1918年(大正7年)に始まり、当時中津市寺町普門院住職青木円海師外数名の有志達と共に、耶馬渓随一の景勝競秀峰一帯に仏像を安置し、円海師を先達として毎年千人詣りが行われた。しかし何時とはなしに参詣は皆無の状態となって今日に至った。
|