御祭神は、正殿に明治維新以降国家公共に尽くした人の神霊 41,818柱、相殿に公務殉職者の御霊 53柱を奉斎する。(2007年4月10日現在)
全国の護国神社は殆ど明治維新の当時に招魂社として創立され戦前より慰霊の祭儀が行われていた。しかし宮崎県は、明治維新当時小藩分立状態であったこともあり、県内全域の御霊を祀る招魂社は創立されていなかった。移設ができる小さな社殿を造り毎年祭場を設営して招魂祭を行ってきた。1941年大東亜戦争が勃発しさらに戦没者が増加したため、当時の県知事や各界の代表者が設立者となって建設工事が始まったが、1945年終戦を迎え日本が連合国の占領下におかれると当時の宮崎軍民政部長官マスマン少佐の命で建設中止となった。その後講和条約が締結されあらためて建設の要望が県民より起こり、1953年再建奉賛会が組織され再建に着手し、1955年竣工同日鎮座祭が斎行された。
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