東霧島神社の御朱印
御朱印 菖蒲の節句 御朱印

菖蒲の節句
当て紙

当て紙

宮崎の神社・仏閣
東霧島(つまきりしま)神社
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住所/〒889-4504 宮崎県都城市高崎町東霧島1560
TEL/0986−62−1713
アクセス
★電車/JR吉都線「東高崎」駅より徒歩約10分
★車/宮崎自動車道「高原」ICより約15分
駐車場/約300台(無料)
拝観料/無料  境内自由

大鳥居
大鳥居
二の鳥居
二の鳥居

主祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)(伊邪那岐命)、相殿に天照大御神(あまてらすおおみかみ)天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)(山幸彦)、鵜葦草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)の地神5代の皇祖を祀る。また御神宝十握の剣(とつかのつるぎ)を奉斎する。
創建は第5代孝昭(こうしょう)天皇(前475年−前393年)の御代と伝わる。()

神門
神門
神門
神門

霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)の一つ。
東霧島(つまきりしま)神社には多くの神々が祀られ、神々が集まるという意味で「あずま霧島」と呼ばれていた。霧島山の東端に位置することから「つま」と呼ぶようになり「東方発心門なりし」聖地に鎮座している。
第62代村上天皇の御代963年に性空(しょうくう)上人が巡錫参篭し、噴火出土で焼失し、埋没した神殿を再興したという。江戸時代になって東霧島大権現宮と唱えるようになった。()

拝殿・本殿
拝殿・本殿
拝殿
拝殿
白髭神社
白髭神社
磐境
磐境
霧島六社大権現宮
霧島六社大権現宮
龍神大杉
龍神大杉

龍神太鼓
龍神太鼓
幸招大楠
幸招大楠
鬼磐階段
鬼磐階段

(右上)鬼磐(おにいわ)階段  その昔、この地方を治めていた豪族で鬼といわれるほど恐れられ、善良なる土民に悪の限りを尽くしていたという。その善良なる土民に気品ある娘がいて、悪しき豪族はその娘を嫁にしようとしたがかなわず、田畑を荒らし土民を困らせていた。土民は守り神である霧島の神様に願った。神様は鬼どもに「この神殿に通ずる階段を一夜にして一千個の石を積み上げたならば、お前たちの願いをかなえ、もし、そのことがなし得られない時は、この地を去れ」というと、鬼どもは約束の石段作りに取りかかり、どんどん石段を積み上げていったという。神様は困り、このままでは悪がはびこり善はすたるとして、東の空をしらじと明るくし長鳴き鳥を集めて鳴かしめた。すると鬼どもは夜明けと思い、九百九十九個の石を積み上げたところで退散したという。この石階段は、振り向かずにこの階段を心を込め願い事をとなえながら登ると願いが叶うと言い、「振り向かずの坂」とも言われる。今でも霧島の神には鶏を殺し、御供えすることが禁じられている。()

神門・鬼磐階段
神門・鬼磐階段
龍神社・龍王神水・伊弉冉神社
龍神社・龍王神水・伊弉冉神社

神石
神石
神石
神石

(上)神石 神代の昔、天地創造の神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)(伊邪那岐命)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)(伊邪那美命)が誕生した。夫婦となった二人の神様は国土山川草木に至る私たちの生活に必要な種々のものを生成した。あらゆるものを生み成していく中で、私達の生活に最も大切な「火の神」を生み、妻伊弉冉尊(いざなみのみこと)はこの世を去った。夫伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が愛しい妻伊弉冉尊(いざなみのみこと)を恋い慕う悲しみの涙で凝り固まったのが、「神石」(神裂石・魔石・雷神石・割裂神石)であるという。そして夫伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が腰に付けていた「十握の剣」で悲しみの涙で凝り固まった石を今後再びこのような災難に世人が遭わないように、と深き祈りの心を込めて三段に切ったという。「十握の剣」は当神社の神宝であり、厄除け・魔除けの神となり御社殿に鎮め納められている。()

高崎大師堂 境内の梵鐘は、1615年5月の大坂夏の陣に島津宗家第18代の家久軍勢が出陣する時に、諸願成就のために東霧島大権現宮に祈願奉納したもの。明治初頭の廃仏毀釈のときに鹿児島の細工奉行所に移され、1877年の西南の役後に、長崎県西彼杵郡為石村に運ばれた。その後は同地の曹洞宗宝性寺の鐘楼につるされ、第二次大戦時でも供出されずに残されてきた。1981年(昭和56年)に移管交渉が成立し、代替の新梵鐘と鐘楼を同寺に贈り、同年12月にこの梵鐘は高崎町に運ばれた。南九州の地で鋳造された梵鐘は他になく、宮崎県内に現存するものでは二番目に古い貴重は文化財である。()

石柱門
石柱門
御堂
御堂
堂内
堂内
鐘楼
鐘楼




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