四天王寺の御朱印
西国薬師四十九霊場 御朱印

西国薬師四十九霊場

三重の神社・仏閣
四天王寺
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住所/〒514-0004 三重県津市栄町1-892
TEL/059−228−6797
アクセス
★電車/JR紀勢本線または近鉄名古屋線「津」駅より徒歩約10分
★車/伊勢自動車道「津」ICより約10分
駐車場/約10台(無料)
拝観料/無料  境内自由

山門
山門
山門扁額
山門扁額

曹洞宗。山号は塔世山。
西国薬師四十九霊場第34番札所、芭蕉翁百霊場札所、伊勢の津七福神大黒天霊場。
推古天皇の勅願、聖徳太子の建立と伝えられる。()

楼門
楼門
楼門扁額
楼門扁額

聖徳太子が守屋大連の軍との戦いで四天王尊像を刻み、「もし次の戦いで勝利を得られたら、四天王を祀る寺塔を建立するから勝利をお与え下さい」と誓願をたてた。その結果、守屋の軍を破ることが出来た太子は、誓願通りに4つの四天王寺を建立したという。その一つと伝わる。()

鐘楼門
鐘楼門
本堂
本堂

その後、度々の兵乱や戦火で焼失と再興を繰り返したが、1619年に津城に入った藤堂高虎が改築、二代目藩主高次が1637年に寺領を寄進したことにより、寺勢をとりもどした。
太平洋戦争では山門と鐘楼門を残して焼失、現在の本堂は52世密禅定行和尚が托鉢行で再建したものである。
鐘楼門の古来の鐘は関ヶ原の乱の際、津城を攻める石田三成軍に鉄砲の弾として溶かされた。現在の鐘は1680年に造られたもの。()

境内庭園
境内庭園
鐘楼門
鐘楼門

境内には著名の墳墓として、斎藤拙堂先生墓・織田信長生母土田御前(花屋寿栄禅尼)墓・藤堂高虎正室一色氏(久芳院)墓・堀江鍬次郎墓・富田知信の子千代丸墓などがある。
斎藤拙堂:津藩を代表する漢学者であり文章家として知られる。
土田御前:本能寺の変後、津城の織田信包(信長の実弟)を頼り津に身を寄せ、晩年を此処で過ごす。
堀江鍬次郎:日本写真の開祖と言われる上野彦馬と共に、写真術の研さんに取り組んだ。()




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