住所/〒513-0801 三重県鈴鹿市神戸2-20-8TEL/059−382−1189 アクセス★電車/近鉄鈴鹿線「鈴鹿市」駅下車 徒歩約5分 ★車/東名阪自動車道「鈴鹿」ICより約20分
臨済宗東福寺派別格地。山号は天澤山(てんたくざん)。室町時代1423年称光天皇の勅命で、開基に伊勢国司北畠満雅、普請奉行に神戸(かんべ)城主神戸実重を任じ、現在地より西の西条の平地澤山(さわやま)に六十余坊の規模で創建、開山には河内光通寺の悦叟大忻(えっそうだいきん)禅師を迎える。()
徳川将軍家との繋がりは、家康の父・松平広忠が11歳の頃、信定による暗殺計画が発覚し、叔父・東條時広を頼り、ここ龍光寺に寓居したのが始まり。戦国時代には堂宇烏有に帰したが、後奈良天皇が1554年に再興を命じ、寺格を南禅寺に準ずるとした。神戸(かんべ)家には織田信長の三男信孝が養子に入り、当山も復興を機に現在の地に神戸城とともに移る。()
かんべの寝釈迦(大涅槃会(だいねはんえ)) 毎年3月の涅槃会には大本山京都東福寺の画僧兆殿司(ちょうでんす)(吉山明兆(きっさんみんちょう))が描いたと伝えられ「日本三幅の一つ」といわれる大涅槃図が開帳され延べ十万人もの家内安全を願う参拝者で賑わう。この十六畳敷の大涅槃図には、53種の動物の中に魔物扱いされ描かれることがなかった猫が描かれており当時大変話題となったことからこの涅槃会が有名になったようである。この伊勢路に春を呼ぶと親しまれる開帳は往時よりこの地方で「釈迦荒れ」「かんべの釈迦の荒れじまい」などと呼ばれ伊勢地方では最も賑わう縁日の一つで、お供えの「花供御餅(はなくそもち)(あられ)」は当時からの名物である。()