住所/〒611-0021 京都府宇治市宇治山田1 TEL/0774−21−3041 アクセス★電車/京阪宇治線「宇治」駅下車 徒歩約5分 JR奈良線「宇治」駅下車 徒歩約10分 ★車/京滋バイパス「宇治東」ICから約5分 *大阪方面からは「宇治西」ICより約10分 駐車場/無 ※周辺に民営の駐車場有 拝観料/無料 境内自由
御祭神は菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)。父・応神天皇より皇太子に立てられたが、異母兄・大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るために自殺したといわれる。応神天皇が菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)を皇太子に定めたのは、古代の慣例で、なるべく若い者に嗣がせた方が一代の活躍期間が長く、国の繁栄が期待できるとしていたからである。しかし菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)は儒教の思想をうけ長男相続の考えで、応神天皇崩御の310年に兄宮が皇位につくようと勧めた。しかし、大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)は日本的な思想で、互いに皇位の譲り合いが続いた。 菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)は312年に宮居を菟道()に移し、皇位を早く定めて天下の煩いを除くために自害し、皇位を兄宮に譲ったのである。()
この地は応神天皇の離宮(桐原日桁宮(きりはらひけたのみや))跡で、皇子菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)の宮居の跡とも伝えられ、菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)の死後に仁徳天皇が祠を建てその神霊を祀ったのがこの神社の始まり。宇治の産土神(うぶすながみ)として信仰され、幼い頃より聡明にして、阿直岐(あちき)や王仁(わに)博士について学問の道を極め、我が国の文教の始祖であり、学業や受験合格の神様として崇められている。()
(上)本殿 鎌倉時代初期の建物で、三間社流造り桧皮葺きで、菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)の木造神像と共に国の重要文化財に指定されている。()